下積み~潜龍~

昨日、ブログで書いた易経に「潜龍」という状態があります。私がもっとも好きな言葉で「確固不抜の志」があります。潜龍というのは飛躍する前の状態ということです。この時期に何をして過ごしているのか、そこにその人の真の志があります。人から認められようとするばかり、見た目ばかりの評価を気にしているのは潜龍とは言いません。もしも仮にその程度で認められたと満足していて大した精進をしないのならそれは志に生きているわけではないのかもしれません。

小林正観さんの本に帝国ホテルの料理長の話が出てきます。そこにはこうあります。

『帝国ホテルの料理長を26年間勤め、重役になった村上信夫さんという方がいます。厨房から初めて重役になった唯一の人です。十代のときに帝国ホテルの厨房に入ってからは、3年間、仕事が鍋磨きのみだったといいます。一切、料理に触れることが許されませんでした。何人もの少年が入っても1年以内にほとんどの人が辞めてしまったといいます。その中で村上さんだけは辞めなかった。「日本一の鍋磨きになろう」と決意して3年間鍋をピカピカに磨くことにしました。自分のところに回ってくる鍋には料理が残っていても、ソースの味がわからないように洗剤などが入れられた状態で来るのだそうです。それを全部、きれいに磨いた。自分の顔が映るくらいピカピカに磨いたといいます。そうして3、4カ月経ったところで「今日の鍋磨きは誰だ」と先輩が聞くようになったそうです。「今日の鍋磨きはムラ(村上さんの愛称)です」という答えが返ってくるとそのときだけは洗剤が入っていない状態で鍋が回ってくるようになった。村上さんはそれを舐めて、隠し味を勉強するようになり、立派な料理人になったという話です。どんな人も最初は、お試し期間があります。今おかれている状況に文句を言わずに黙々とやっている人に神は微笑むようです。「人生を楽しむ」ための30法則」(講談社)』

志に生きる人は、どんな境遇であっても不平不満も文句言いません。その中で自分のできる最大限のことを惜しみなく勤めていきます。それは志を醸成する期間であり、その時こそ本物の実力をつける時期だからです。

困難や苦労に喜んで突き進む人はそうはいませんが、その時期が将来の大切なことを成し遂げるためのもっとも大事な期間であることは必ず将来につながってきます。だからこそ一切を怠らず、妥協をせずに理想に向かって邁進していくのでしょう。潜龍はただじっとしているのではありません、それは下積みをしている期間なのです。

「下積み」という期間は、何を下に積むのか、それはすべての基礎であり基本です。こういう基本や基礎ができている人は将来、初心を忘れずにその道の達人として一流になります。常に現状に満足せず、現状を打破して変化を已まない人こそ臥竜なのでしょう。

お試し期間とは試練のことです。

小人閑居にして不善をなさないよう、試練の時こそさらに挑戦を重ねて信念とともに歩んでいきたいと思います。

  1. コメント

    「石の上にも三年という。しかし三年を一年で習得する努力は怠ってはならない」以前頂いた言葉、そして村上さんのエピソード。自分はどうだろうと照らし合わせてしまいますが、もっともっと泥臭く今できる最善の最善を目指そう、そう気持ちが湧いてきます。「日本一の鍋磨きになろう」と決意する姿のように、目の前の一つ一つのことから貪欲に学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    「3年間、鍋磨き」という「試し」に耐えられる人はほとんどいないでしょう。早く一人前の料理人になりたいと思えば思うほど、「鍋磨き」は、自分の「志」を邪魔するものに見えるのではないでしょうか。それを「下積み修業」として受け入れられる姿は、まさに「潜龍」であり、その覚悟力はしっかり焼き付けておく必要がありそうです。そう思うと、何ごとにおいても「焦り」過ぎるのは、まだまだ甘く、「確乎不抜の志」と呼ぶには程遠いかもしれません。

  3. コメント

    どれだけ大きなスケールで物事を観ているか、によって目先の行いの意味すら変わってしまうことを思うと、視野の狭さは人生をもったいないものにしてしまうことを感じます。自分を自分勝手に限ることなく、本心の方で物事を観聴きし、ありのままの現実に向き合い、挑戦していきたいと思います。

  4. コメント

    毎日の実践も初心を忘れた実践になっていないかと思うと毎日が闘いです。初心のままに積み上げていく事が下積みなのだと感じます。振り返った中身よりも初心のままかどうかを日々見つめていく事が大切なのだと感じます。今日も1日始まりますがいつも何のためかを見つめていきたいと思います。

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