臥竜の道

昨日、保育環境セミナーの情報交換会で臥竜塾というものを主催している塾頭から話がありました。それはチャンスが来るまで力をつけて学びを怠らないということ、またそうやって積み重ねていたからこそチャンスが来るという話でした。

その臥竜塾の理念にはこう書かれています。

「四書五経の中の「易経」に書かれている中で、人が成長するために必要な事柄を龍の成長に例えた説明があります。「潜龍」「見龍」「君子終日乾乾す」「躍龍」「飛龍」「亢龍」の6つの段階です。私たちが学んでいる場の「臥竜塾」は一番最初の段階「潜龍」です。「潜龍」とは、まだ力を蓄えている間で、自分の力をひけらかすことはせず、あせらず、じっと我慢をする時期です。塾長の話しを聞き、保育の話のみならず、人の生き方、物事の考え方など、これから長い人生を歩んでいく上での教訓を学ぶ塾です。」

塾が開始するときから見知っていましたが、塾頭としてとても成長している姿を見て塾長の感化力の凄さと共に素直に精進してこられた塾頭の実践力に頼もしく感じて嬉しくなりました。こうやって見守っていく後人たちが育っていくのは、未来の子どもたちのことを思えば思うほどに有難く感じます。

私も臥竜という言葉が好きで、昔から三国志に出てくる諸葛亮孔明を尊敬していた関係もあり、易について学んだことがあります。臥竜とは、竜が臥せっている姿で天を見つめて潜んでいる姿です。易では千年に一度の大雨の時に天に駆け上がるとされています。

私はこの臥竜については自分なりに思うことがあります。私は竜が飛ぶかどうかではなくむしろ天を相手にして生きている姿に惹かれます。西郷隆盛に敬天愛人があります。人を相手にするのではなく、天を相手にせよという教訓です。

天を見つめて天の声を聴き、天と一体になっている姿にこそ臥竜の徳を感じます。天は自分に何を与えてくださっているのか、天はどのようなことを求めていらっしゃるのか、もしこれが天命ならば私はどう生きるのかと、常に天と対話して生きていくのです。

それがもしもチャンスや機会が一生訪れなかったにしてもそれは気にしない。大事なことは天与のいのちの使い方ということに重点を置く生き方です。

生きていれば自分の思ってもいないことがたくさん発生します。その際、自分の思っていたこととは違ったけれど自分が思った以上のことを与えていただいていると感謝できることこそがその臥竜の実力が備わってきたということではないかと思います。そして誰が見ていようが見ていまいが天が観ていると常に真摯に正直に真心を尽くして生きていく生き方こそが臥竜ではないかと私は思います。

誰かがなんとかしてくれると思って人任せにして言い訳をする人生ではなく、在野にあっても志を持ち天命を生き切るという覚悟を持った人はこの世の天運を司る竜になります。

引き続き私も同じ師に同行してきた以上、臥竜の道を究めていきたいと思います。

  1. コメント

    塾生とは同世代ということもあり会って話をしていると刺激的で、自分もまた学びを深めていこうと感じさせていただく存在でもあります。そして、チャンスはいつ巡ってくるかわかりませんし、巡ってきていても気づけなければ逃してしまいます。そのいつかはわかりませんが、来る時にしっかりと掴めるよう今できることを積み重ね、共に力を合わる一人となれるよう精進していきたいと思います。

  2. コメント

    「志」はいろいろなかたちで試されます。少しくらいの学びでわかった気にならず、自己顕示欲を抑えて格好をつけず、悟りという誘惑に惑わされず、かと言って、変に自己卑下もせず、着実に力を蓄えたいものです。臥龍のように、焦らず、天を見つめて確乎不抜の志を静かに養い続け、天命を信じて今日も素直に生きたいと思います。

  3. コメント

    天命を生き切るという覚悟を持った人はこの世の天運を司る竜になるという言葉、痺れました。天運そのものと一体になれば、それはもう、天運のなすように事が巡ると思うと、改めてお任せできる様に自分の覚悟を問い直す機会となります。選んだ人生では自分の思った事に近づけることは困難ですが、選ばなければ、思った以上になることを教えていただき、体感しています。選ばず一体になろうと心を磨きたいと思います。

  4. コメント

    それまでのユーモアある話の流れから一変、全体をみてご自身の体験からの教訓を皆に伝えることであの場の先生方の大きな励みになったことを感じます。臥竜、地に臥せて力を蓄えているその姿は、何かを為すことよりもかえって周囲を感化していくもののように思えます。見習っていきたいと思います。

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