明障子~自然と寄り添う姿~

昨日は障子の張り替えをクルーのみんなで行いました。手すきの和紙を糊をつかい昔からの方法で一つ一つ貼り合わせていきます。慣れない作業は大変ですが、一つ一つを丁寧にやっていくと自分の性格も観えてきて、また指先などの手仕事の豊かさも感じられ日本の家屋にまた学び直すことができました。

この障子は、襖が誕生してのち約100年後の平安時代末期に登場したといわれます。間仕切りとしての隔てと採光を両立させた明障子は画期的な発明だったといいます。実際に和室の中の木や土、竹や草、つまり畳や土壁に入るこの紙の明障子は空間を引き立たせ柔らかい灯りを家屋全体に与えます。

まるで杜の木漏れ日の中にいるような感覚になり、その陰翳礼讃には心が清々しくなり灯りの円やかさに時を忘れるようです。

日本人は、かねてから自然と対立するのではなく自然と寄り添い自然と溶け合い暮らしてきた民族です。日本の瑞々しい気候風土に合った生活は、自然を遠ざけるのではなく自然を身近に感じられるように随所に工夫されています。

例えばこの明障子というものも、家の内と外を遮断するのではなく敢えて自然とつながる状態を維持するようにつくられています。それは光や音、空気、薫り、それらが遮断されずにつなぐ役目も果たします。

そもそも遮断という発想は、自然との対立から生まれます。あくまで自然を遮断するのではなく、自然と接続するという考え方が自然との共生です。それは自然と一緒に生きていくという考え方が大前提になっています。

人間はいつも自分たちを活かしてくださっている自然に感謝の心を持てば、その自然と遠ざけようとはしないものです。それを自然と切り離して人間だけの社会をつくり、自然を遮断し一時的に快適な暮らしをできたとしても長期的に観た場合はそれは快適なことではありません。短期的快適と長期的快適とでは同じではなく、長期的快適さというのは自然のリズムと自然の流れに添って暮らしていくことだと先人たちはみんな知っていました。

私たちは球体の地球の中に住ませていただいていますから、すべてのことは循環して円転していきます。つまり今の暮らし方が循環して近しい未来に必ず因果応報の摂理に従い自分たちに帰ってきてしまいます。長い目で考えるのは循環することを知っているからです。巡り巡って必ず自分のやったことが戻ってくるからです。だからこそ如何に周りに良い影響を与える暮らしをするか、それとも自分だけが良い暮らしをするかは、長い目線で観た時に必ずその利害が明白になっていきます。

古民家甦生をしながら感じるのは昔の家屋は捨てるところがなくほとんどが甦生し新たな役目を持つものばかりです。それは自然からできているものであり、自然から離れないことで自然の摂理に合致しているから循環するのです。今のように大量のゴミを出し、それを廃棄し燃やしていくというのは多大なエネルギーを消費します。

本来の日本の気候風土に合致した暮らしは、いかに自然とつながり一緒になりながら豊かに暮らしていけるかという考え方が必要な気がしています。

そういう意味でこの明障子から学ぶものが多く、この自然と接続する謙虚で柔軟な姿から接続の仕方を教えてもらえているように思います。

その明障子は、正しく用いて張り替えていけば100年でも200年でも持つそうです。

自然に逆らわず、自然と寄り添い生きることを選択してきたご先祖様たちのような暮らしを今の時代でも実践していくことで子どもたちにその豊かさの本質を伝承できます。引き続き、日本文化、伝統に触れながらひとつひとつを五感で味わっていきたいと思います。

  1. コメント

    聴福庵へ来るとこれまでしたことのない体験をたくさんします。本来、体験ではなく暮らしそのものだったのだと思いますが、私にとっては新鮮なことばかりです。障子の張替えもまだまだ下手ですがそれでも自分で張り替えると愛着が湧き、張り替えた障子を見ると影がゆらゆら揺れ笑っているように見えます。障子のように初めてのことばかりでうまくいかないことも多く、自分ができると思っていたこともほんの僅かなことで、自分って一体何ができるのだろうと思うところもあります。ただ、ちょっとずつ経験を積んでいく中でできることが増えていくこともまた喜びです。日本文化から一つ一つ学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    障子を通した「明かり」の柔らかさは独特の世界を生み出し、ほんとうに心が救われますが、それだけでなく、日本の障子は、「場づくり、間づくり」の智慧でもあります。自然との「間のとり方」を始め、あらゆるものとの「間」を臨機応変に作っていきます。隣の存在を否定せず、遮断せず、気配で結びつき合うという関係の持ち方は、絶妙なバランス感覚を養ってくれます。「場と間と和」という文化の素晴らしさを、改めて感じます。

  3. コメント

    はっきりとした言葉自体は覚えていませんが、先日「武相荘」で知った白洲正子さんの仰っていた話から受けた感覚を、ここ聴福庵での暮らしの中で少しずつ実感してきています。初めての障子張りでしたが、丁寧に美しくは大事かもしれませんが、整えようとし過ぎず少し隙間があるぐらいの方が却って自然に沿っているのかもしれません。今の家の感覚から考えないようにしたいと思います。

  4. コメント

    風や光や音を通す間仕切りである障子には、マンションの発想とは全く異なる考え方で、暮らしの発想が追い付いていかない感覚があります。しかし、聴福庵で暮らしてみると、その音や光や風がいろんな存在や気配を感じさせてくれ、感覚が過敏になっていく事を感じます。子どもたちの感性を日本家屋は育ててくれるのではないかと、改めてここで暮らして感じています。自宅にどこまでその環境を持ち込めるのか、出来るところから考えていきたいと思います。

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