心の友

人間は理想を掲げ純粋な心を守ろうと生きていけば様々な苦労が訪れるものです。流されて生きていくことを選ばずに本質を守り続けて生きようとすれば心は疲れます。しかしそんな時、道の途中で同じ志の戦友に出会い語り合えることは仕合せなことです。

純粋な心を亡くさないようにと心を守る守り人は、必ず志と伴にあり時折その苦労を分かち合う人たちとの出会いで勇気をいただき元気になるものです。私はこういう人のことを心の友と呼びます。

心の友と言えば、五輪真弓さんという歌手の詩があります。

「あなたから苦しみを奪えたその時
私にも生きてゆく勇気が湧いてくる
あなたと出会うまでは孤独なさすらい人
その手のぬくもりを 感じさせて」

同じ苦しみや分かってもらえていない本当の心や本心をわかってもらえる存在に巡り合えるというのは勇気が出てきます。人はみんな自分の本心を自分で守り続けてきました。それを守り通せる人たちは少なく、傷つくことを恐れては周囲に迎合したり周りを卑下したり自分が割り切ったりして自分らしくいることを諦めてしまうものです。

しかし本当の心には嘘はつけませんから、それを信念をもって守る時、人は周囲の誤解を受けたりします。その周囲の誤解があってもこだわりが強いと嫌煙されてもそれでも自分の信念を守ろうとするとき、心の友が顕れるのです。同じように心を守り続ける仲間は、唯一無二の友だちです。一生一笑の友達ができるというのは、道を歩んでいるからこそ顕れます。私の場合、子ども心を守っている人たちはみんな大切な「心の友」です。そんな心の友たちの子守歌(ララバイ)の続きです。

「愛はいつもララバイ
旅に疲れた時
ただ心の友と
私を呼んで

信じあう心さえどこかに忘れて
人は何故 過ぎた日の幸せ追いかける
静かにまぶた閉じて心のドアを開き
私をつかんだら 涙ふいて

愛はいつもララバイ
あなたが弱い時
ただ心の友と
私を呼んで

愛はいつもララバイ
旅に疲れた時
ただ心の友と
私を呼んで 」

心の友との出会いが旅を美しく明るく幸福を豊かにします。出会いや御縁が人生そのものを彩りますから、心の友はその美しい風景の大切な時めきです。引き続き、信念を見守り育て自分のやるべきことを自分のあるべき場所で遣り切っていきたいと思います。

  1. コメント

    昨年多くの出会いがあり、年齢も職業も様々な方々でした。それを心の友、そして同志と呼ぶのかもしれませんが、自ら求めてというのはどうだったろうかと感じます。安心した中にいる居心地のよさはもちろんありますが、自ら機会を創り出す気概を持った日々を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    道を歩むための修業は、慎独であり、弱iい己、怠け者の己との闘いです。しかし、朋友がいると、その姿に、いつも励まされます。私は、身近で「実践している人の姿」に随分と励まされてきました。「松蔭先生もこんな生き方であったかもしれない」と思った瞬間から、急に道が開けました。怠け心に負けそうになっても、その姿を思い浮かべるだけで力が湧き、何とか続けられています。こういった朋友の存在は、本当に有難いことだと感謝しています。

  3. コメント

    親友との間柄も、生き方を定めてからは、何でもありという関係ではなくなりました。しかし、それでも繋がるからこその親友であり、お互いの生き様を見せあう間柄には何か絆の様なものを感じます。生き方が違うと離れた友人ともまたいつか、違いを認め合える気がします。短いスパンで見ると悪いことに見えますが、信じる心から大切にして行きたいと思います。

  4. コメント

    今朝の社内木鶏の際にお話のあった、炭の例えにも通じるものがあるように思います。心で生きるということは必然的に熱をおびることになり、その熱は例え一時衰えようとも、心の友の存在、その放つ熱に焚きつけられることで自らまた熱を取り戻すという感覚があります。かけがえのない一生、熱をもって生きたいと思います。

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