視野を高める

松下幸之助さんの言葉で「視野の狭い人は、我が身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。」とあります。これは以前のブログでも書きましたが、視野が狭いというのは物事の見方が自分の視界でしか見えていないということもでもあります。先入観や思い込み、他人の話に耳を傾けず自分の価値観の正否のみで物事を解釈する傾向が強いということになります。

例えば、どう考えても全体が観えたり多面的に客観的に長期的に観ている人から見ればとても可笑しなことをしていると観えていても本人は気づかないものです。自分の中で行き来するだけで他人に意見を求めなくなると人は自分の中で出てくる正解がすべてだと妄信するものです。

他人の評価を気にする人ほど心を閉ざし、心を開かないから人の話を素直に聴くことができません。周りから自分がどう思われるかばかりを気にしていて周りに合わせて自分の本心がバレないようにと保身をしている人は視野が狭くなっていきます。

視野の狭さの理由として、自分がどう思われたいかという自分の理想像の価値観を周囲に押し付けようとしたり、もしくは自分がこうありたいと思っている姿で見られたいという自分の願望もまた視野の狭さの原因になっています。

自分の価値観の基準か、他人の評価の基準を気にして自分の心と向き合わないで生きていくとそのうち自分の心のことが分からなくなります。これもまた視野の狭さとも言えます。自分がどうしたいかがわからないのは、いつまでも他人を基準にして生きていくことが沁み付いているからです。これは過去の歪んだ個人主義の影響を受けていることも一因になっています。つまり、自立の定義が自分ひとりでなんでもできることだと思い込んでいるからです。そして自分ひとりでできるというのは、これもまた周りの評価を気にする原因にもなります。

そして周りからどう思われるかを過度に意識すると自分らしくいることができません。日ごろそうやって我慢をしていて突然思い切って本心を明かすと周りが過剰に反応して余計な問題が起きてしまいます。だからまた心を閉ざして隠すという悪循環を繰り返してしまうようにも思います。

それを好いことに転じるには、一つは自覚すること。もう一つは、協力することのように思います。自覚は、自分で自分を理解すると自分の特徴が素直に理解できていきます。あるがままの自分が認められると、無理を押し通すことも少なくなっていくからです。そして人間社會は決して一人で生きていくわけではないのだから協力すればその中で自分の持ち味を発見しそれを仲間の中で発揮することにもなったりするからです。

視野の狭さは転じれば天才的集中力であり、視野の寛さは天才的調整力になります。一人では完結できないのが人間ですから、自分にしかできないことを発見し、自分のあるがままでもみんなの力になれるように助け合い思いやることで視野を高めていくことができます。

視野を高めるにはまず自立の定義を換えてしまわなければなりません。自立とは一人でできることではなく、本来の自立とは周囲の人たちに感謝し御蔭様の心で常に助け合いいつも思いやることができることであるということに意識を換えるのです。

視野を高めるというのは、自他を認めそのままあるがままがいいとそのものの価値を丸ごと認識することです。そのまま活かそうとするところに人間の叡智があるように思います。

刷り込みで苦しんでいる大人たちが多いからこそ、子どもたちのためにも自らの視野を高めていきたいと思います。

  1. コメント

    貝磨きを続けながら思うことは荒い自分がいるということです。貝は磨けば磨くほど輝きを増しますが、気づいても気づいても荒さが目立つのはまだまだ分かっていないのだと感じます。子どもの頃から思いやりは大事だともう何遍も聞いてきました。ですが、いざどうかというと初めて聞いたかのような振る舞いをして、せっかくの持ち味も思いやりがなければ宝の持ち腐れみたいになってしまいます。不穏な空気が流れた時、お茶やお菓子を差し入れ場を和まして頂いていることが最近何度もありました。その気遣いや心配りがさり気なく振り返らなければ見逃していましたが、自分も仲間の行動のように思いやりを大事に働いていきたいと思います。

  2. コメント

    一般的には、目先のことにこだわり、一面にこだわり、枝葉末節にこだわることが「視野の狭さ」の典型かもしれません。しかし、問題なのは、視野が「歪んでいるとき」です。自分の能力にこだわり、自分の評価にこだわり、自分の存在にこだわるときに、自分ひとりだけ「歪んだ自分の世界」を見ています。この「歪み」を直すには、「立ち位置」を変える必要があるでしょう。全体の中で許され、みんなの中で生かされている自分が見える位置にいるかどうか、それが重要ではないでしょうか。

  3. コメント

    そのまま、あるがままを活かす。本来大切であったそのような考えは子どもの頃から馴染みがなくなってしまっていたように思います。ですが、コーティングして別の色やカタチを身に付けるのではなく、磨くことでそのままの持ち味が輝いて活かされることこそ成長なのだと最近は実感するようになりました。努力の方向性を間違えないよう、自他に思いやりや協力を大事にしていきたいと思います。

  4. コメント

    出来ないことを自覚して、出来る人に手伝ってと言えることが自立とありましたが、自立や長所を活かすというのは、協力をすることで生まれるのだと今日のブログから学びました。自分の中で完結して転じることではなく、協力や共生から生まれる転じる機会を見つけていきたいと思います。

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