暮らしの本質

世界には様々な民族が生まれ、多様な文化が醸成されてきました。それはその土地や風土に影響を受け、それぞれの歴史を経て発展してきました。日本においても、地域性の中で生まれた風土や様々な人たちが混じり合うことで変化成長を続けてきたとも言えます。

今では宗教や文化などと呼ばれ、特別なもののように差別化されていますが実際には「どのように暮らしてきたか」という民族のシンプルな生き方を示していたのです。

例えば、どのようなものを食べ、どのようなものを着て、どのようなところに住んだかという衣食住をはじめ、何を信じてきたか、どんなものに感謝を持ったか、またどのように育児をしたかなどこれらをひっくるめて「暮らし」を行ってきたのです。

人間は価値観がそれぞれ異なりますから、異なっているものを無理に合わせようとすると衝突が発生するものです。しかし、お互いにどのような暮らしをしてきたかを学び合っていくのならそれは暮らしが豊かになっていくとも言えます。

民族の暮らし方というのは、智慧の宝庫であり、どのように先人たちがこの風土の特性を活かしてそれを生活の中に取り入れてきたかという創意工夫のあり方を示しています。

今では地域や風土につながる暮らしは不便だからと排除し、人間にとってもっとも便利なやり方を同一に行うような社会にしています。機械や道具、電気を使ってどこでも誰でも同じやり方で衣食住を実現しています。そこにはかつてあったような「暮らし」は失われ、先祖が磨き上げてきた自分自身に流れている民族の生き方も感じられにくくなっています。

民族の暮らしが私たちの個性を醸成したのであって、その個性が失われるというのは自分が今までどのように生きてきたかという智慧を失うことです。生き方というのは生きざまであり、例えば感謝して歩み続けてきた先祖の畏敬の念を忘れるというのはそれまで生き残ってきた方法を亡くしていくということと同じなのです。

人は自分の生き方が子孫の生き方になり、自分の生きざまが子孫の生きざまになるのを忘れれば自分のことだけしか考えない人になることもあります。自分が活かされているという実感が生の喜びであり、その生により周囲を活かそうとすることではじめて「生活」は成り立ちます。この生の実践こそが生業であり、その生業を実現することが生活そのものになるのでしょう。

自分自身の生活を見直すことが民族の誇りを取り戻すことになるのでしょう。子どもたちのためにも暮らしを見直していきたいと思います。

  1. コメント

    「肯定する」ということは、「受け入れる」ということであり、それは、「信じる」「味方にする」「生かす」ということでもあります。ものごと考えるときには、その思考の「前提となるもの」があります。「どう考えるか」の前に、「自分は、いかなる前提でものを考えているか?!」ということを、きちんと確認しておく必要があるでしょう。まずは、「何を与えられているか」「どのように生かされているか」ということを間違わないようにしたいと思います。

  2. コメント

    感謝を忘れる自分だからこそ、感謝を学び、立ち返り、内省する日々ですが、やはり暮らしを変えて行くことが家族の為でも、理念の為でも、ご先祖さまの為でもあるように感じています。我欲にまみれぬように、自分自身の暮らしを変えて行きたいと思います。

  3. コメント

    聴福庵の動画を両親と観ていたら、「昔したな〜」と懐かしそうに言っていました。今の暮らしにおいてかつての暮らしは昔話になっており、今のこの暮らしもいつかは昔話のようにロボットに囲まれながら懐かしむのかもしれません。変化する中でも心の拠り所としてあの場所を受け継ぎ、暮らしのある生活を大事にしていきたい思います。

  4. コメント

    日本の中でも色々な土地を訪れると「なんでこんなことをしているのだろう」と不思議に思うことに出逢います。昨日の灯篭祭りなどもその一例で、きっと何か暮らしと結びついていたものがあったのでしょう。多くを知ることは難しいですが、せめて自分の日々の生活の中に埋もれている暮らしの意味、それが何に繋がっていたのかを知り、実践していきたいと思います。

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