触感を磨く

手作業や手仕事のよさは、手で触れ触るとことできるということです。辞書には「触れる」という言葉は「手などをそのものに軽くつける。また、何かが身体にふれて、そのものの存在が感覚的にわかる。また(近づいて)かかわりを持つ。関係する」などと書かれます。主に、感覚的に直観する作用と関係を持つ作用でこの触るという言葉は使われまています。字体は角と虫が一緒になってできた文字ですが、この字を観ると私は虫の触覚のことを思い出します。

今でも自然農の畑にいけば、また古民家の坪庭の手入れをしていたら様々な虫に出会います。その虫たちは触覚を持っているものが多く、少し触れるだけで過敏に触覚を感知させそのものの全体を把握し行動しています。

私たちのように耳や目を使わなくても、彼らは触覚によって私たちが用いるそのほかの五感の役目を担っているのです。

この触覚というのは、触れることで気づけます。さらには触れていなくても気配というものを感じるものです。私も自然や木々、石や古い道具などを手で触っているかかより触感が磨かれある程度は手を翳せばその気配感を手で感じることができます。

不思議ですがこの触覚というのは、生まれてから自分を認識するためにも用いられそして世界を認識するのにもとても大切な役目を果たします。生まれてはおしゃぶりから周辺のものを触ることで赤ちゃんは世界を知ります。そして私たちは様々なものに触れ、関係を築くことでつながりのある自然を認識します。

この触覚を磨くというのは、手作業や手入れをする回数を増やし質を高めるということです。またもっとも磨かれるのは、自然物に触れるということです。森にいけば葉っぱ一枚一枚を触ったり、土に触ったり、木に触ってみたりする。さらには水に触り、火に触り、砂を触り、鉄を触る、どれも独特な感触を私たちに与えます。

その独特な感触を通して私たちは真の個性を知り、そのものの性質や特徴を直観するのです。その感覚は、全ての認識に深くかかわっており、ビジネスマンであれば仕事に活かせるし、職人であればものづくりに活かせます。

改めてこの触覚の重要性に気づいてみたら、子どもたちにも触感を磨くためのものを多く譲っていきたいと思います。それはもちろん外にある自然もありますが、先祖や先人たちの遺してきた智慧というものからも磨けます。

かつての古き善き道具たちに触れることで、触覚をさらに磨き直していきたいと思います。

  1. コメント

    パソコンで調べごとをしていると目でばかり情報を取っていることを感じます。目から情報が入ると疑似体験して頭でわかった気になりますが、実際はそう上手くいきません。コツを掴むまで何度も繰り返す中で気づくことがあります。歴史的に貴重なものによく「お手を触れないでください」とあります。守るために必要なことでありながらも、触れてみてわかることもあるような気がします。古き善き道具を触れられるというのは、今の時代にとても貴重なことなのだと改めて感じます。

  2. コメント

    「人の手」というのは、目や耳以上に鋭くものを識別します。その感触だけで、重さや厚み、柔らかさや温かさのほか、微妙な質感の違いを見事に判別できます。中には、絵の具の色の違いを指先の感覚で見分けられる人もいます。この繊細さが、質の高いものを生み出してきたのでしょう。今も手や指を使う場面は多いですが、昔に比べるとやや鈍感になりつつあるかもしれません。

  3. コメント

    昨日はこどもたちとガラス工房でガラスに触れてきました。棒のガラスを回しながら溶かして形を作ったり、模様を入れたりとしながら作る初めてのとんぼ玉づくりは、出来上がったとんぼ玉よりも作る際の体験そのものが大きな財産となったように思います。私にとっても多くの収穫がありました。ひとつひとつの体験から学んだ感覚や自分自身を日頃に活かして行きたいと思います。

  4. コメント

    指針の発達項目にも「つまむ、たたく、ひっぱる、丸める、めくる、転がす…」と、手や指先を動かすことに関するものが沢山あることを思うと、触覚というものは五感の中でもとても重要なものであることを感じます。子どもは何でも触りたがりますが、本来の人間の持つ感覚というものを大事にしていきたいと思います。

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