梅の徳2~梅と信仰~

天神様を深めていく中で「梅」が深くかかわっていることに気づきます。それは菅原道真公が「こよなく梅を愛した」ことが縁起になっています。ご神体には、胸のところに梅紋が入ったものをよく見かけます。全国各地には、同じように梅紋様の家紋が多くあるのは天神様の信仰者が多いことにも由来します。

またあまりにも 多くの家が「梅紋」を用いたため、菅原道真公の子孫を称した加賀の前田家は 特に区別をした「加賀梅鉢」というものを考案したといいます。特に梅紋は、天神信仰の広まっている近畿、 北九州地方に多く分布しています。

菅原道真がどのくらい梅を愛していたかということは、その詩や住まいにも見てとれます。例えば、天神御所は別名で「白梅御殿」、そして別邸は「紅梅御殿」と呼ばれていたくらい多くの梅が植えられていました。

産まれてから死ぬまで、最初から最期の絶筆にいたるまで梅についての詩を詠みます。梅は、いついかなる時も菅原道真公の御傍を離れなかったということで飛梅伝説というものも産まれています。天神様と梅はその生き方があまりにも似ていたのでしょう。

「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」

「城に盈(み)ち郭に溢れて 幾ばくの梅花ぞ 猶(な)ほ是れ風光 早歳の華 雁足(がんそく)に点し 将(も)て帛(はく)を繋(つな)げるかと疑い 鳥頭に点著して家に帰らむことを憶ふ」

そして古代に思いを馳せれば、昔の人たちが如何に梅を愛したのかを想像できます。

厳しい冬を耐えて最初に美しい花を咲かせ百花の魁とも呼ばれる梅の花は、いつか咲くと信じて待つという心を顕します。耐え忍ぶ心は、自然を信じ待つ心であり、苦労を厭わずに真心を盡せば必ず美しい花が咲くことを梅の生き方をもって信じられたのかもしれません。

そして紅白に咲く梅の美しい花は、吉祥を顕しています。現代でも紅白はおめでたい縁起物として私たちの暮らしに活かされています。古来の日本人は、この紅と白の梅の花に何を観たのでしょうか。

信じる生き方というのは、その後も天神様を通して子どもたちに語り継がれ今でもその功徳は私たちを見守ってくださっています。待ち信じる中にいのちの美しい花が咲くという真理はいつまでも私たちの生き方の模範になっています。

引き続き、天神祭までに梅の徳を深めてみたいと思います。

 

 

 

 

  1. コメント

    卒業式や入学式の幕、そしてお祝い事の紅白は梅を由来しているのだと、身近で接しながらはじめて気が付きました、お祝いも節目ごとのものと思うと、やはり子どもの成長によるものであることを感じます。花が咲いた時は注目していますが、それ以降は何も知りません。咲いている時期の方がわずかだと思うと、思いを寄せ生涯にわたって惹きつける何かがあったことを感じます。風雪を耐え忍んだり、陽の目を見ずとも実践する、そういった生き方に倣い、目指していきたいと思います。

  2. コメント

    日本の春は、「梅、桃、桜」と、雰囲気の違った花が順に咲きますが、「梅」には、「桃」や「桜」にはない「梅の美学」のようなものがあります。寒さに耐えた後に迎える春、鍛えるほどに美しくなるさま、怠りなく鍛錬し身を律する生き方、そのような日本人としてのあり方、姿勢を「紅白の梅」に求め、ひとつの理想としたのではないでしょうか。

  3. コメント

    偉大な先人の生き方を愛するのは世界共通のことだと思いますが、梅をここまで愛することが出来るというのは日本人らしい一面なのかもしれません。自然を観て自分たち人間の生き方を正そうとしていく、自然から学んできた民族性。日本料理なども四季を織り交ぜたものは見た目そのものも美しいですが、日本の文化の背景にある自然・風土を観ていきたいと思います。

  4. コメント

    梅の事を学ぶ機会が増え、梅に触れる機会が増え、取りに来てくれる人限定でと、オークションに梅の木が破格で出されていました。誰も落札せずに再出品され続けていた為、譲って頂きました。しかし体験の機会やご縁を頂いているのに、深める事が出来ていません。せっかくの機会を頂いているのだから、頂いたぶんだけはせめて深める自分自身でありたいと思います。

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