古井戸の甦生

郷里で古民家甦生を続けていますが、昨日ついに手掘りで彫り続けた井戸に念願の水が湧き出てきました。一か月も前から少しずつ掘っていましたがいつまで掘ればいいのだろうかと仲間と不安にもなっていましたが、湧き水が出てきたことで一安心です。

今回、私たちがやったのは古井戸の甦生です。かつては使用されていた井戸も、もう何年もそのままに放置され、大量のごみが井戸の中に投げ込まれていました。出てきたものは、前の住人の方の遺品やガラス、陶器、金属の破片や井戸蓋、鉄筋コンクリートなども出てきました。その他、粘土や真砂もありましたがほとんどがゴミとして誰かが井戸に投げ込んだのでしょう。

昔は水神様として井戸を大切にしてきたといいます。それは暮らしの中心に井戸があり、暮らしを支える存在として水は欠かせないものであったからです。その井戸に感謝して、井戸神さまをお祀りしていつも清浄にしていた暮らしがありました。

火の神様はガスの出現でいなくなり、水の神様は水道の出現でいなくなり、火と水を祀るという暮らしも失われていきました。

私が取り組んでいる古民家甦生というものは、古民家再生とは異なります。なぜなら、古民家はそのままあったものを再生していくものですが私のやっているのは現代になりすでに壊されて失われていたものをもう一度、かつての暮らしをお手本に甦生していくからです。

私にとっての甦生は、この古井戸の甦生と同様に現代ではいならなくなったものを拾い、それを新しくしていくプロセスを通して子孫へと伝承していくものです。

ただ水が欲しいから井戸を掘るのでもなく、ただ珍しいから竈を使うわけではありません。本来、大切にしてきたものを粗末にしていく現代においてなぜそれが大切であったのかを教え諭すためです。

学問が今ではただの受験勉強のようにすげ換っている様相を見せる現代において、本来の学問とは教えずにして教え、学ばずにして学ぶものであったということをこの寺小屋のような古民家甦生を通して伝承していくのです。

日本の家は私たちの日本的精神を磨かせ、日本の道具や暮らしはそれを活かすことによって文化を伝道してきた継承の仕組みを支えているのです。

引き続き、古井戸の甦生を通して子どもたちに先祖からの智慧を譲り渡していきたいと思います。

 

  1. コメント

    同じ古民家でも、関わる人の考え方によって大きく左右されることを感じます。そこまでやるかと来る人が驚かれていますが、自分だったらと思うと再生の方へ進んでいたかもしれません。そこに意識の差を感じ、子どもたちの伝承施設は自分自身の刷り込みを取る施設であることも同時に感じます。改めて頂いている機会の意味を見つめ直していきたいと思います。

  2. コメント

    「便利になる」ということは、一見いいことのようですが、そこには、人間の「欲」をくすぐるものがあります。すなわち、「楽」であり、手間暇をかけなくてもよく、待たなくてもいい、というようなことです。便利になって、確かに「生産性」は上がりましたが、この「欲」に飛びついてしまったことで、同時に「意味」を考えなくなりました。それは、「智慧」を捨てているのと同じかもしれません。「智慧の継承」ということをもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。

  3. コメント

    まだ途中ではありますが、今回の井戸の甦生の体験はとても感慨深いものがありました。掘ってみると、かつてはその位置で水が出ていたであろう箇所から更に深く掘られた形跡があり、まさに昔の暮らしは自然を相手にナマモノであったのだろうと感じます。今では水が出なくなれば水道屋に文句を言うのが当たり前と錯覚しますが、それは貨幣経済によって対象が自然から人間に代わったことを意味するようにも思えます。自然を相手にするからこそ、祈るような想いも感謝の心も湧いてくるのだと、この体験の一つからも失われたものが何であるかを深めていきたいと思います。

  4. コメント

    井戸を再生するということは、自分たちで生きる力、自立の度合いがまた増していくことのように感じます。電気水道、ガス、食べ物から服から、家、何から何までをお金で買っている現代において、そのプロセスを知ったり、体験出来たり、教えてもらえることは何よりも大切な生きる智慧であり力であると感じます。子どもたちに残していきたい暮らしがまた一つ、明確になってきたように感じます。

  5. コメント

    こんにちは、皆さん。先日、映像見させて頂きました。日々つづりからだけでは届かなかった、なぜ聴福庵なのか。ご当主の心底、皆さんの想いに少しばかりかもしれませんが一段深い場所に触れさせていただくことができました。どんな想いでやっているのか。あらためて知りたくなり皆さん綴りを振り返りました。日本が集まる聴福庵。世界に発信していく想い。とてもとてもいいですね!クオリティの高い映像、構成、物語の過程に吸い込まれました。井戸のシ‐ンは、映画海賊と呼ばれた男のシ‐ン、石油タンクにもぐりふんどし1つで重油さらいする仲間達の奮闘姿と重なりました。色々大変なことがあったとしても、仲間がいつもそばにいるいるカグヤ一家皆さんがとてもうらやましく感じました。そして、つながらせてもらっていることに有り難さと誇りを感じました。。自慢の貝仲間のいる福岡聴福庵。遠くない未来、ぼくもきっと行きますね。その時は、どうぞよろしくお願いいたします!いつも、MIMAMORIをありがとうございます^^!

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