品を磨く

懐かしい道具には懐かしい品があります。この品は、そのものがどのように出来上がってきたものか、またどのように使われてきたか、そして長い年月を経てどのように変化してきたかというものが顕れてきます。

大量生産大量消費するものには品があまり感じられないのは、質が異なるからです。よく品質の良し悪しを観て品質を見定めるというものがありますが、質とは品であり、品が質のことですが品質とはつまりそのものが持っている本物の姿であるということです。

品という字は、そもそも品格や上品、気品といって最上のものを語られる言葉で使われます。つまりは品とは、そのものの価値であり、そのものの本質、そのものが顕現していることを品といいます。

これを人で例えば、その人がどのような心や精神の人物か、またどのような生き方をしてきたか、どのような信条を持っているか、どのような存在価値を持っているか、そこに品が顕現します。

古い道具は品があるのは、それは作り手や使い手が長い年月正直に磨き上げ、そして育て、さらには真心が伝承されてきているからに他なりません。人の心が入らず、工場で不自然に簡単便利に加工されたものはどうしても品が失われるのは道具本来の本質の価値が磨かれていないからです。

品を磨くというのは、ただ道具を磨けばいいのではなくその道具によって磨かれるということです。切磋琢磨とも言いますが、自分自身のガサツな性格を磨き直し、心を丁寧に入れて丹誠を籠めるような生き方を変えていけば品もまた備わっていきます。

品質や品格といったものは、大切に育てたいのちの醸し出す薫りのようなものですがその薫りが周囲を穏やかにし懐かしい気持ちにさせてくれます。

生き方の学び直しは本物の道具に触れることからです。

引き続き、本物にこだわり品質を高め恥ずかしくない品格を道具から学び直していきたいと思います。

  1. コメント

    「品格」とは、そのものに備わっている性質であり、時間が経っても劣化しません。私たちは、「品格」の備わったものを前にしたとき、それが鏡となって、自分の「品格のなさ」というか「下品さ」を知ります。この「品格」の基準をどこに持つかで、その人の磨かれ方が変わってくるのでしょう。そういう意味では、「気品」がわかる日本人のレベルの高さを改めて感じます。

  2. コメント

    先日、妻があるお客様から「旦那さん、いいですね、前と比べてどんどんと、、良い方々に囲まれていますね」とお話しいただいたそうです。有難いことに、良い環境を頂いています。その環境が自分自身を磨いていただいているという「自覚」がなく、自分が自分を磨いているとか、自分が周りを磨いているなどの「謙虚さ」を失うことのないようにありたいものです。短所や長所や性格が入れ替わることはないかもしれませんが、全体が磨かれて品が良くなることはあるのだとブログから気づきました。頂いている声を日々丸ごと受け取り、磨いていただいていることに感謝の心を忘れないようにありたいと思います。

  3. コメント

    言葉には表現し難いですが、品のある方は佇まいが違います。それは見ただけで感じるものがあり、その場だけ取り繕っているものとは異なるものです。実践も日々行なっていることが表れると思うと、日々どう過ごすかが表れるとことを感じます。本物に囲まれているからこそ、その場に相応しいものに近づけるよう、磨いていきたいと思います。

  4. コメント

    今はどうしても井戸掘りのことが頭からはなれませんが、、今回の古井戸の甦生も、本当に様々な道具のお陰で何とかここまで来れたように思います。柄の部分を切って作ったオリジナルの道具もずっと助けてくれていますし、重いとか破れて脆いとか言っていた土嚢袋も終盤には掘る際にも欠かせないものになっていました。それを思うと、使い手の心や姿勢の方が道具自体よりも重要なように感じます。その上で本物の道具に触れていければ尚更いいことなのだと実感しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です