危機感

危機感というものがあります。危機感がある人は、本気を持続できる人であり、物事を先送りしない人のことです。自ら厳しい環境に飛び込んだり、つらく苦しくても厳しい状況に入ってでも現状打破しようとする人たちのことです。

この危機感というものは、現実を直視することで得られるものです。何となく周りに流されていたり、マンネリ化しているとそれは出てきません。この危機感は、命の危険にさらされたり、もしくは絶体絶命になるかもしれないという状況で発揮されていくものです。

身の危険も感じず、安全で安心な中にいれば危機感は減退してきてそのうち危機を感じる力が失われていくものです。しかし人間は危機感があるから対処していくものであり、危機意識が発揮されることによって真剣に取り組んでいくことができるように思います。

埼玉県に展開する食生活提案型スーパーマーケットの会長にこういう言葉があります。

「このままでは、ヤオコーがゆでガエルになってしまう」。実はそんな強い危機感を私は抱いていました。ヤオコーはこれまでずっと増益が続いています。毎年、決算賞与も出て、周囲からも「すごいですね」とおだてられる。厳しい状況に直面せずに会社が成長すると、社員に油断も生じます。ヤオコーの社風は家庭的で、仲がいいのですが、逆に言い訳が通用したり、甘えが生じたりする部分もあります。温かい社風はこれからも必要ですが、競争が激しくなる中で厳しさも求められている。」

ゆでガエルというのは、居心地のよいぬるま湯に長時間漬かっていると身近にやってくる危機にも鈍くなり最後はゆでられて死んでしまうということです。

GEのジャックウェルチも危機感について語ります。

「危機がなければ、人間はどれほど現状に安住することか。実際、あなたの会社のような官僚主義的な組織はぬるま湯のように心地よく、社員は決してそこから出ようとしません。ましてや冷たい水に飛び込みたいという欲求は少しも持っていないでしょう。社員は飛び込もうとしないのですから、背中を押してやる必要があります。」

現状を変えようと強い熱意と情熱がなければ決して何も変わりません。ましては自ら厳しい環境に飛び込もうなどよほど背中を押されなければふつうはしないものです。よく成長する社員や、人物は常に自分をより高いところに運ぶために敢えて厳しい環境に挑んでいくように思います。挑戦することは、自分自身を創り上げていくために必要でそれを効果的に発揮させるのが危機感とも言えます。この危機感があれば、怠惰な人でも自然に学び挑戦し自分自身をブラッシュアップしていくことができるからです。

そう考えてみると、危機感とは生存していくための本能が行っているものです。この本能の減退こそが本当の危機であることが分かります。本当の危機を迎えないために油断こそ大敵であると日ごろから戒めるべきは本能を使い続けることです。

本能を使わずに、頭でっかちにわかった気になった頭だけでなんでも処理していこうとするところにマンネリ化もひろがります。マンネリ化とは本能が失われた状態という事になります。

常に自分の本能を発揮するために健全な危機感は何よりも重要です。

子どもたちに歪んだ生き様を遺さないように常に本能を発揮して危機感と危機意識を醸成していきたいと思います。

  1. コメント

    今回の危機感の話から、ケネディ大統領の「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが、国のために何をできるかを問うて欲しい」という以前、紹介されていた言葉が浮かびました。現場へ行けば行くほど、自分に何かできることはないか、お役に立てるようにするためにはどうしたらいいかということを思います。その一つからでも今できることを行っていきたいと思います。

  2. コメント

    「不安感」と違って、「危機感」は健全なものです。常に現実を直視できていれば、油断する暇はないのでしょう。しかし、いつの間にか、治にいて乱を忘れ、痛い目にあったことでも、喉元過ぎればその熱さを忘れてしまいます。「慢心、油断、マンネリ」は、なかなか個人では管理できませんから、「仕組みとしての智慧」が必要かもしれません。

  3. コメント

    危機感があっても行動に移せなかったりするのは自分ごとになっていないことでもあり、それは危機感と呼べないものであるように感じます。自分ごとに感じるからこその危機感であり、行動するからこその危機感であると感じます。現場に行っても言葉だけを発したところで何のお役にも立てませんが、一緒に取り組む姿勢、分けない姿勢を大切にしているだろうかと自分を振り返っていきたいと思います。

  4. コメント

    イソップ寓話で北風は旅人に風を吹きつけますが、その北風自身は自らの風の冷たさを感じた事はないのかもしれません。太陽もまた同様に自身の光の熱さを感じたことはないのかもしれません。子どもは危機感というよりもただ成長することを楽しんでいるように見えますが、そんな子どもに大人は自分の価値観で子どもに危機感を迫ってしまうことがあるように思えます。子どものようにはいかないからこそ、危機感は迫るのではなく自覚するものとして、自らのうちに高めていきたいと思います。

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