和の空間

古民家甦生を通して和室を深めていると、和室の持つ空間のゆとりに気づきます。ゆとりとは余裕のことで、余裕とは空間の中にあるものです。

心が忙しくなってくると、心豊かな時間が失われていくものです。しかしそういう時に、この和の空間に身をゆだねているとゆとりや余裕、おおらかな心が甦ってきます。

この空間の持つ智慧を、私たちの先祖は伝統的な日本の家屋に取り入れたように思います。

この空間の智慧は、物事を大きくゆったりと捉える意識を持つという事です。とかく人間社会にいれば、日々の喧騒に心を奪われて自我に呑まれてあくせくと目先のことに捉われては大事なことを見失っていくものです。人間は自分の寿命で物事を考えますから、短期的なことばかりを思い煩います。それが次第に反自然的になり、不自然なことばかりをやって余計な労苦を増やしてしまっている原因かもしれません。

日本の伝統精神には「待つ」文化があります。この待つは「信じる」ことであり、信じるためには信じられる環境を用意していなければなりません。その際、自然と同じリズムや自然観を上手に取り入れ、心がゆったりと余裕を持てるような空間があれば心はそれに応じて余白が生まれます。

ここに和の空間を持つ意味があるように私は思うのです。

日本の伝統的な家屋の中には、心の余裕や余白といった空間の演出や空間の工夫が観られます。それは私が室礼や季節の行事をもてなすときに和の空間の御蔭で実感するものです。

この日本の精神でもある「待つ」思想は、どのような状態で待つかということに哲学を置いているような気もしています。悠々自適に、あるがままの自然になって待てる境地こそ、自然と一体になっている自然体の姿そのものです。

引き続き、和を深めながら自然体に近づいていきたいと思います。

  1. コメント

    「余裕」とは、「他のものが入る余地がある」ということでしょう。日本文化は、「すべてを埋め尽くす」ということをしません。それでは「情緒」がありません。必ず、「敢えて使わないところ」を残します。それは、「自分の権利を使い切らないで他に譲る」というところにもつながっているでしょう。「余地を残す」という智慧と豊かさ、そして、その生かし方を学び直したいと思います。

  2. コメント

    飽きを感じさせないのは、その時々にそれぞれが調和し心を和ませてくれているからなのかもしれません。そして、その空間を演出することでいかようにも姿を変えると思うと、家の表情はその時の自分自身でもあるように感じます。毎回来るたびに新発見をするわくわく感を大事に、場を創っていきたいと思います。

  3. コメント

    暮らしに「我」ではなく「ゆとり」をちりばめる工夫というのは何よりの智慧のように感じます。そしてその智慧を大切に暮らす「家の人々」という存在もまた重要であるように感じます。保育園でのゾーンやコーナーという場も重要ですが、それの大切さやここに寄り添う前提の「先生方」が重要であるように、自分たちもこの家の一つの場であることを大切にしていきたいと思います。

  4. コメント

    熱は下がらず一人自宅にいると同じ空間とは思えない現実がありますが、しんどい中でも日課を熟していくと取り戻せるものもあることを感じます。しっかりと熱が出るというのもまた身体の正常な反応であり免疫が働いてくれているありがたい状態なのだと思います。自然治癒していくことをじっくりと待ちたいと思います。

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