卒業とは

この時期は、全国各地で卒業式が行われています。この卒業式を調べてみると日本での歴史は1872年の学制の施行に伴い各学年ごとに試験修了者に対して卒業証書を授与したことがはじまりだとされています。明治10年頃になると現在のような形の儀式として定着したといいます。

卒業式は教育課程を修了したという認定の証であり、そのお祝いをする式典です。 式典で卒業証書を授与することを卒業証書授与式と呼ばれ、それが短縮されて卒業式になったといいます。それに「業」は「学問、技芸」を意味し、「卒(そつ)」とは、「おわる、おえる」という意味になるといいこの二つを合わせ学問をおえるになるそうです。

その一つの学びの期間が終わる、それは学びの期間を経て次のステージにアップすること、今の自分の学びをブラッシュアップすること、つまりは今までの自分の意識を換えて新しい自分に挑戦することもまた卒業とも言えるのではないかと思うのです。学校であれば、その体験の期間の卒業でありこれは人生においても同様に時季時機においての卒業があるように思います。

それまでの学び方を変えて、新しい学び方をするということは自分をさらに磨き上げ、柔軟性を持ち平常心を高め自由自在に自立していくためにも学び続ける必要があります。

敢えて卒業があるのは、その期間、その体験を経て次に向かう必要があるからのようにも思えます。出会った仲間たちによって得た学びを、また次の場所で活かしていく。そのように人は前進していくことで自分というものに向き合い、自分と出会い、自分の人生を自分の足で歩んでいき、自分の人生を自分の生き方で創造していきます。まさに体験こそが価値であり、その期間に何をどこで誰と学んだかということこそが最大の価値であるということの証明です。

人生はよく列車の旅に例えられ、学校はよくプラットホーム(歩廊)に例えられます。私たちの会社は、旅の心の持ち方を換えるターンテーブル(転車台)になろうとよく話をしていますが旅は終わることはありませんから常に人生も何度も卒業を続けているということです。卒業のたびに何度も新しい自分に出会えると思えば卒業は大切な振り返りの機会であり、次学への希望そのものです。

何度も何度も卒業を通して新しい自分に出会い成長していく子どもたちを見守りながら、自分自身も自分を毀し続けて新たな学びを楽しんでいきたいと思います。

 

  1. コメント

    卒業のたびに別れがあり、そして新たな出会いがあり、その繰り返しで今があることを感じます。社会人になると卒業という節目や、これまでの自分との別れも、自分自身で決めていくことだと思うと、今必要なことを必要な分だけ学んでいることを感じます。「石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない」という言葉を贈って頂いたことがありました。学び方を変え、磨いていきたいと思います。

  2. コメント

    「学校の卒業」以外にも、人生には「卒業しないといけないこと」がたくさんあります。しかし、実際には、形の上では卒業しても、その心がいつまでも同じところに留まっていることが結構あります。「卒業式」ではありませんが、名残惜しくても自分なりの儀式をしてきちんと卒業し、新しい世界に入る覚悟を定める必要があるようです。

  3. コメント

    同じ場所にいても何度も意識を卒業し、新しい自分と出会うことも出来れば、場所を変えて新しい自分と出会うこともあることを思うと、大切なのはどちらの機会をも自分自身の人生として頂いている二度とない機会であることを自覚し、味わい、心に刻むことなのだと感じます。そういう意味では会社の環境や考え方が日々磨かれていくというのは、同じ場所でも成長しやすい環境にもなり、反対についていけないという環境にもなるかもしれません。保育園でのゾーンが磨かれていくのは「伝承」という仕組みが働いているからだと言います。決して子どもたち個人の能力が高まっているわけではないそうです。伝承ということのもつ魅力と不思議さを学んでいきたいと思います。

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