平和の祭典

2020年に東京オリンピックを控えて各地で競技場などの工事が行われています。オリンピックを誘致したときには盛り上がりましたが、あまり最近ではニュースになることもありません。どちらかといえば、エンブレムの問題や競技場のために木を切り倒して産廃に出したりと心ないことばかりが注目されています。

そもそも古代にはじまったオリンピックは、古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアでゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされています。一つの神々への供養としてのお祭りの一つだったとも言えます。そこからキリスト教が国教になりオリンピックは廃止されます。

その後は、現代になってフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵によって1896年第1回大会がアテネで開催されることで復活しました。クーベルタンがオリンピックを始めようとした根本動機はスポーツを通じて人間を変革することとしました。そこで単なる「スポーツの祭典」ではなく、精神の発達を願う芸術祭も含めてのものにしたのです。1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会まで芸術競技が開催されていて1952年第15回ヘルシンキ大会から「芸術展示」、1992年の第25回バルセロナ大会からは「文化プログラム」として実施されたといいます。

この文化的な側面を大事にしようとしたことは、人間をよりよくしていくための方法の一つとして開催されたことになります。そこから「平和の祭典」であると定義し、クーベルタンは「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことをオリンピックの目的と理念にしました。「勝敗だけではなく、ルールを遵守し正々堂々と全力を尽くす」という「フェアプレーの精神」がオリンピックでは重視されるのもこのためだとも言えます。

この平和の祭典という目的を忘れるところに問題があり、オリンピックの目的が政治利用されたり利害によって経済効果ばかりが注目されるようになってきたとも言えます。本来の意味を理解するのなら、スポーツは何のためにあるのか、ドーピングの問題なども出てきますが目的を忘れることで本質もまた変わっていくのかもしれません。

昭和の頃の東京オリンピックでは、日本が大きく変わった節目の年だったとも言えます。あの頃を振り返り、これからどう生きていくか考えるチャンスの節目かもしれません。

私たちも平和の祭典に参加しながら、子どもたちのために最善を盡していきたいと思います。

  1. コメント

    平昌オリンピックでも盛り上がりを見せ歓喜に沸きました。一方で政治色も色濃く現れましたが、各国の代表を応援をして、それぞれに想いを持ってあの舞台に立っているストーリーを知るとそれだけで熱くなるものがあります。誰かを応援することで、また自分も頑張ろうとエネルギーが湧いてくるのは不思議なことですが、お互いに高め合っていける関係こそ、その象徴なのかもしれません。オリンピックに選手として出られるのは一握りの人ですが、自分にもそれまでにできることや、日々自分自身を高めていくことはできます。オリンピックを観て楽しむのも一つですが、自分にもできることを尽くしていきたいと思います。

  2. コメント

    「フェアプレーの精神」とか「スポーツマン精神」とかいいますが、実際には、成績不振の選手にバッシングなどがおきていますから、選手だけでなく、応援する人たちの意識も問題です。やはり「競争」とか「勝ち負け」ということになると、人の欲が刺激されてしまい、目的がすり替わることがよくあります。アメフトの問題もありましたが、いつの間にか変な理屈が通ってしまいます。これはビジネス等においても同じです。道徳心というか、人間の根本的な思想・価値観の問題ではないでしょうか。

  3. コメント

    先週末の土曜日に国立競技場前に、スケート靴のブレードを研ぎに行く機会がありました。その際に建設途中の国立競技場を見る機会がありました。異様なまでの建造物。しかし、建設途中のその建造物周りには、何のためにこの建造物を作るのか、そういったことは何も掲示されず、ただただ労働者が日夜を問わず働くために環境整備がされていました。オリンピックの目的そのものよりも、オリンピックを使って自国の利益にどうつなげるかという目論見ばかりが目に見えます。出来上がるまでのプロセスに自国の意識が見えるわけですから、作ることよりもその期間にどんな実践や習慣を身近なところでやっていくのかを考えていきたいと思います。

  4. コメント

    子どもの頃、オリンピックを平和的な戦争の代替えのもののように感じることがありました。国にも選手にも応援する人々にもそれぞれ思いがありますが、何を目的としているのかは改めて大事なことだと感じます。新渡戸が勇猛果敢なフェアプレーの精神と表現した日本人の精神は、古来からの戦においてもそれは大義があり平和を望むからこそのものだったのでしょう。自分たちは何で参画するのか、そこを見誤らないようにしたいと思います。

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