共感のやさしさ

人間は、時として一人では乗り越えることができないような困難や葛藤に出会うことがあります。不安や恐怖から、誰かに支えて貰わないと前に進むことができないようなこともあります。そういう時に、心に寄り添ってくれる人や、心の支えになってくれる人が救いになって様々な壁を乗り越えることができることもあります。

見守るということもまた、相手の心に寄り添うことで実現するものです。

しかしこの寄り添うと思いながら頭で寄り添ったつもりになっていて考えているだけで心は着いてきていないこともあるように思います。相手のことを考えていることが思いやりではなく、心を寄り添い、心で近づき、心で共感し、心から相手の心を自分に同一化するほどに受容することができてはじめて寄り添っているとも言えます。

人間は頭でなんとなくきっとこうだろうと思い込んで頭で考えて行動しても心は着いてこないことがほとんどです。頭で考えることは共感とは異なります。共感は例えば、相手が痛い思いをしていたら自分も痛いと感じる心、また相手が悲しみで泣いていたら一緒に泣いているような心、相手が自分と同化するほどに気持ちが伝わり感応するのです。

よくカウンセラーなどが共感してのちにアドバイスをしますが、もしもその人が頭で計算しながらやっているのならその場しのぎの対応になるだけでその人の人生を一緒に乗り越えるほどの支えにはなりません。共感しながらも自分の人生体験から励まし勇気を与え信じ見守るという過程は、真心の行動が伴わなければならないのです。

頭で考えることと真心は異なります。相手の苦しみに寄り添う時間や、相手の困難に共感する時間、すべてはじっくりと心が寄り添うために自分から心を寄せていく「共感のやさしさ」が必要なのです。

この「共感のやさしさ」を磨き続ける人こそ真心の人であり、そのやさしさが具体的な行動になり具体的なアドバイスになり具体的な見守りの環境を創造するのです。

慣れてしまい共感から入るのを怠らないように常に自戒し、心を用いてどのような人へも接していきたいと思います。共感のやさしさを失わないように丁寧に心を寄せていく工夫を行っていきたいと思います。

 

  1. コメント

    「まごころ」で接してくれる人と話していると、自分が「頭で考えていた」ということが浮き彫りになって姿勢がズレていることに気づきます。「同苦同悲」という言葉がありますが、これは、頭では入れない世界です。頭で考えると「判断」が入ってしまい、相手の真の姿が見えなくなってしまいます。相手の「苦しみ、悲しみ」を見失わないように、勝手な仮説を持たないで、心のみで接することができるようになりたいものです。

  2. コメント

    心が通じた瞬間は何物にも得難い安心感があります。堰を切ったよう溢れ出る言葉は、頭で考えていたことではなく心で思っていたままに表れます。頭で考え始めると思いやりが難しくなりますが、ただその人を想う、心の繋がりを大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    心配してかけてくれた言葉だけでもいただくと嬉しく、心の寄り添いを感じればなお嬉しいものがあることを感じます。方法やテクニックではないからこそ、言葉を受けとる時もありがたいという気持ちを感じられる心でいたり、してもらって嬉しかったことを自分自身も誰かにと循環させていく気持ちを大切にしていきたいと思います。

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