愛のある環境

人間はそれぞれに自分のやりたいことをやろうとするものです。それを認めてもらえれば人は自信を持ち、認めてもらえなければ不安になるものです。自分自身が自分を認める人は、素のままの自分であることができ主体性は発揮されます。しかし素の自分を隠したり制限をかける人は他人に合わせて自分の軸を歪めていきますから自分らしくいることができなくなります。

自分というものとの付き合い方を見直すことは、自分自身を見つめる作業であり、仕合せに生きるための原点に気づく大切な機会になります。

人間は与えられた環境や遺伝子によって観念が仕上がっていくものです。その観念がマインドセットされると、その観念そのものに自分というものが出来上がってきます。脳は、自分の観念が自分だと思い込むと自分というものを演じ始めます。

本来、人間には心があり心はありのままであるがままを感じます。そのまま心が感じたままで生きていければいいのですが、脳が観念によって真実を歪めるため様々な感情が現れてきます。その一つの感情にトラウマというものがあります。このトラウマは、過去の何かの出来事による傷がついたものを脳の観念で認識し似たようなことが起きようとすると自分の心が傷つかないように別の現象に挿げ替えようとするのです。

つまりは根底の観念の方を操作し、起きる出来事を真実とは別のものに置き換えようとします。例えば、無理をして食べると不味いことになるという観念が大前提にあれば食わず嫌いになっていくという具合です。食べてみなければわからないものも、きっと不味いと思い込んでいますから食べることはありません。そしてたとえ食べたとしてもきっと不味いと思い込んでいますから美味しいものであっても脳が不味くしてしまうのです。

このように思い込みや刷り込みによって前提になっている観念を操作していれば、現実や真実が正しく感知できませんから感情も次第に自然なものではなくなっていきます。

感情とは、ありのままの現状をあるがままに感じた時に調和して自分の中に融解していくものです。そうやって仕合せを味わい、喜怒哀楽の体験を積むから人生が丸ごと調和して仕合せの境地を得ています。ここが歪むと、感情が歪みますからありのままの現状を感情が調和できませんから、苦しくなり不幸や孤独に苛まれるのです。

人間は、そうやって自分自身が脳や観念で心をイジメ続けると本当の自分が辛くなっていきます。自罰的にイジメているからこそ他人に今度は意地悪な人になっていきます。意地悪な人ばかり増えてしまえば社会はとても世知辛く、居心地の悪いものになってしまいます。

イジメをなくすためには、自分イジメをやめさせるしかありません。自分をイジメることがなくなれば意地悪な人もいなくなります。そのためには、もっと大人たちが寛容な社會を子どもたちに築いていき許し合い認め合う愛のある環境を創造し譲っていく必要を感じます。

子どもたちが安心して暮らして、健やかに素のままの自分で許される仕合せに充たされるように自分自身の意識をさらに解放していきたいと思います。

  1. コメント

    あれもダメ、これもダメと言われて育ったら、見守るとは真逆にいくように感じます。そしてそれは、大人の意図で何かをやらせるよりも、何も動けなくなってしまうように感じます。そう思うと、自己肯定感の大切さを改めて感じます。子どものころに培われたものが大人になるなってからも影響を与えるのだと感じますが、自分をいじめるのを今止められるのも、自分自身なのだと思うと、これでいいのだと今をそのまま受け入れ、自分自身の明日を創っていきたいと思います。

  2. コメント

    外ばかりを見て、人の声や世間の目を気にし過ぎると、枝葉末節に捉われてしまって「内的充実感」を失ってしまいます。「自己統一感」がないと、人は不安でたまりません。「外を見る頭」ではなく、「内を見つめる心」をもっと積極的に養う必要があるでしょう。現代版「修己修身」の方法を確立する重要性を感じます。

  3. コメント

    今では親の方でも不安な人が多くなった分、子どもに対して周りの子どもと比べたり悪いところや足りないところを見てしまい、ますます悪循環が続いているようにも思えます。私たち大人の一人ひとりが保育者の意識で子どもの育ちをしっかりと見て自己肯定感を保障していくことで、いづれは親の方もまた癒されていくのかもしれません。育ちの豊かさを感じる心を大事にしていきたいと思います。

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