ひな祭りの甦生

現在、桃の節句でひな祭りの季節です。この節句というのは、中国の暦法で季節の節目のことをいいます。有名な五節句は1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句(桃の節句)、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句になります。

この節句の節の定義は、奇数が重なるときに陽が重なり陰になるということからその禍を避け邪気を祓うためにはじまったものです。それが日本の農耕と合わさり、日本の伝統行事に昇華され今に至ります。

一時期、明治新政府が五節句禁止令というものを出しましたが実際にその時には今までの伝統行事を急にやめることはなく継承されたといいます。しかし今は、ご節句禁止令など出てなくても次第にその行事が失われてきました。

本来、意味があったものが意味がないものにされることでそのものの本体が喪失します。意味を伝承してきたことが本来の伝統行事でありそれが流行に流されたり経済効果だけを優先するなかで失われてしまうことはとても残念です。そもそも行事は何のためにあったのか、そしてその意味や由来はどうだったのかは実践する人たちが後ろ姿や口伝などで示していくしかありません。

子どもたちへ籠めた願いや祈りがそのままに未来にまでつながっていくことを信じるばかりです。

今週末は、「流し雛」というものをやってみようと思っています。この流しびなは、ひな祭りのルーツになったものと言われています。これは「源氏物語」にも出てくる話で、人型の形(かたしろ)を舟に乗せ須磨の海に流したそこには記されます。

むかしは、病気は禍いや祟り、邪気のようなものと恐れられていましたからそれを祓い清めることで福にできると信じていました。特に自然界の植物にはいのちが宿ると信じられていましたから、その自然物を自分の「形代(かたしろ)」にして悪い箇所(痛みのある部分)にその形代を撫で付けて痛みをうつし川に流していたといいます。これが雛祭り(雛人形)につながっているといます。

今は木の葉や自然物を用いた「形代」を使わずに「桟俵(さんだわら)」という藁で舟をつくり、その中に紙粘土で作ったお人形と願い事を書き入れた紙を一緒に入れて川に流すという具合に発展しているといいます。

しかし本来は、葉っぱや植物、その他の形代を流すことで穢れを海に沈めてもらおうとしたのです。私は神社をお祀りして祝詞をあげだしてわかりましたが、大祓祝詞の中にも、数々の神様が川から海に穢れをもっていって清め流して沈めてくれて取り祓うと記されています。

日本人は、いのちや魂を信じていてそれが依り代としてこの世に出てきたり、形代として移したりできると信じていたのです。私の先祖の土師氏も、埴輪などの土器をつくりそこに息を吹きかけて形代にして埋葬することをやりました。

いのちの移し替えをすることを知っていたように思います。ものづくりをする人たちは、自分たちの想いがモノに宿ることを知っています。これもまたいのちの移し替えり、私たちはこの世にでて多くの形代を持っているのです。

今の伝統行事がどのように受け継がれてきたか、みんなよくその意味を学び直す必要があるように思います。意味がある行事を意味のないものにするのは、それを深めたり磨いたり、探求したり本質を学ぼうとしなくなるからです。忙しくなる理由は、そうやって実践することを怠ることでさらに心は迷いわからなくなるからです。

どんなに忙しくても、伝統行事を丁寧に丹精を込めて取り組めば暮らしの柱はそこで支えられます。本来の日本人の生き方、そういうものが正しく子孫へ伝承できるように実践を積み重ねていきたいと思います。

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