自然とIT

最近、ある人からデジタルネイチャーという話をお聞きしました。これは、IT用語辞典によればこうあります。

『デジタルネイチャーとは、「コンピュータと非コンピュータリソースが親和することで再構築される新たな自然環境」として捉えられる世界像である。メディアアーティスト・落合陽一が提唱する概念である。落合は、デジタルネイチャーを「人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構築された新しい自然」であると述べている。成熟したコンピュータ技術により、あらゆるものがソースコードとして記述され、人や自然などの「物質」と仮想的に再現された「実質」(virtual)が不断の連続的な関係に置かれる、それによって、旧来の工業化社会とは違った世界の在り方、価値観、環境が実現するという』

ITと自然の融合という感じて使われている言葉なのでしょうか。

この100年で急速にIT技術によって人類の生活スタイルは変化してきました。そのことで、便利になった反面、非常に問題も多くつくりだし、それを解決するよりも前にさらに技術によって乗り越えようとしています。

時間軸として、自然はとても雄大で悠久、ゆったりとずっしりと動いていきます。それに対して、人間はとても短絡的で短期的、視野もせまく短期決戦です。そのバランスを保つのを人間側に自然を合わせるのか。それとも自然に人間を合わせるのかといった、思想そのものがきちんと語れていないように私は思うのです。

私は郷里に、このデジタルネイチャーのやろうとしていることを暮らしフルネスという実践を用い現場で実践しています。ここはブロックチェーンを活用した最先端技術を扱うエンジニアたちが、先人たちの智慧をすべて甦生させた場所で働き、その思想や技術を習得しながらどうあることが人類や子孫が生き残ることができるかという智慧を習得するのです。

今の知識がいくら進んでいると思い込んでみても、これまで数万年、数千年を生き伸びた智慧には足元にも及びません。たとえ、地球が滅んで宇宙人のようなテクノロジーを得て生き延びたとしても果たしてそれで仕合せなのかということはきちんと向き合う必要があります。

人類は今の豊かさの定義を見直すことが先で、本当の豊かさとはどういうものかということを気づきなおすことが大切だと私は感じます。新しい時代といいながらも人間は人間の内面の価値観を自分たちで毀すことができなければ時代は本当の意味でアップデートすることはできません。

つまり一人ひとりの中にある暮らしの変化しかこの世界を変える方法はないと感じています。その暮らしの変化がいかに他の一人ひとりの意識を換えていくか。これからの時代、まさにこの生き方と暮らし方を示した人が時代を導いていくと私は直観しています。

むかしから日本には伝統的で立派な職人たちが時代を見つめて守ってきました。この時代もまた、新たな職人や技術者たちと共に人類のあるべき姿のカタチを創造していきたいと思います。

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