感謝と知恵

私たちは無意識に感じているものに重力というものがあります。寝る前や朝起きた時など、重力をよく感じます。身体を地球に任せているとき、自分の身体が地球に落ちている感覚を覚えます。私たちは日々に生活をするなかで、この重力というものの恩恵をたくさんいただいています。

血液や肉体を保つのもこの重力のハタラキを戴いているからでもあります。水も火も風も、この世のあらゆる物質はこの重力の御蔭で活動することができるのです。

しかし重力は当たり前すぎてあまり意識されることがありません。これは空気も同じく、当たり前になったものは人は意識しなくなります。耳なども特定の音は聞こえなくするように、いつも当たり前になっている音は耳に入ってこなくなるのです。

感覚を研ぎ澄ませていけば、次第にその観えなかったもの、感じなかったものを感じられるようになります。その時、あまりのその偉大な恩恵に感謝の念が湧いてきます。

むかしの先祖たちは、そのあまりにも偉大な恩恵を忘れることはありませんでした。自然崇拝をはじめ、山で暮らした人々や海に出た人々もまた常にその当たり前の存在に五感を傾けて暮らしをととのえてきました。

その証拠に、五感を磨くような実践が多く遺り、今では考えられないような知恵と技術を持っていたことが分かります。現代人になって、今の文明がもっとも発展しているかのように錯覚し、古代の歴史は遅れているという刷り込みと思い込みが今の人たちの知恵のなさにつながっているように思います。

本来は、もっとも先進的であったのは古代の方で今はむしろそこに向かうためのプロセスのようなものだと私は感じています。脳の使い方も今とは異なっていたはずで、別の機能を発達させて声なき声、音なき音、空間の中にある無限のエネルギーなど、そういうものを感得して活かしたこともあったかもしれません。

古代文明で石が深く関わったりするのも、石の持つ偉大な恩恵を感じ取れた人たちが多かったということでしょう。どの時代も、思い込みや意識によって世界はつくられます。はじめて知った世界が自分たちの世界になりますが常識は原点回帰することでまた異なっていきます。

重力のような存在に、日々に感謝できる人はその恩恵の一端を享受されます。子どもたちにも当たり前になっている存在に気づけるように感謝を伝承していきたいと思います。

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