日本語の感覚

私たちの日本語を改めて感じていると、そこに尊敬や親愛の気持ちが籠っているのが分かります。それを感じるのは「お」がついている言葉に触れるときです。

たとえば、おとうさん、おかあさん、おかげ、おれい、おちゃ、おさけ、おいのり、おひさま、おつきさま。あげればきりがないほどです。それはおいのちに対する自分の心の姿を顕現しています。

まるで自分の家族や兄弟、親子のように親しく近い存在として、また最も尊く偉大な存在として接していることが伝わります。これは自然に対する、私たちのものの見方であり、自然との接し方そのものともいえます。

むかしウェブの事業を立ち上げたときに、C3研究所として「かわいい」ということをテーマに取り組んだことがありました。日本語のかわいいは、小さくて愛おしい、素直で無垢なものが強く海外の言葉ではないものがたくさんありました。

私も古いものに触れるときに、懐かしいと感じて甦生していきますがこの懐かしいもまた尊敬や親愛の気持ちが入っているものです。

この感覚の正体はなんだろうかと少し掘り下げてみるとこれは慈母心であることがわかります。すべてを慈しむ優しい母親のような真心のことです。これは地球そのものの本体でもあります。

この世にあるすべてのものを慈しみ親しみ尊敬し愛する心、これは地球の存在です。この地球の存在と一体になることで、私たちはこの世のすべてものと一体一致する境地を得て感覚を結んでいくように思うのです。

言葉というのは便利な道具ですが、その言葉の背景には合理的ではない太古からの生き方や心が入っています。現代は、乱暴な言葉が氾濫し、心を用いなくても言葉だけで交わしている状態が増えてそれを学んでまた言葉の意味まで変わってきました。

日々の言葉を気を付けて使っていくことは、先人たちが目指した姿に近づいていくことでもあります。時代が変わっても、変わってはいけないものをよく観て気を付け、本来の歴史をつないでいきたいと思います。

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