骨の人

反骨精神という言葉があります。意味は「反骨精神(はんこつせいしん)」の意味は、「不当な権力や世の中の不正に立ち向かったり、時代の風潮や世論などに反抗する心持ちや気概」だとあります。ただ、反抗的な態度という意味ではなく、長いものに巻かれろといったみんながそうだから自分もとはならず、自分に正直に生きるというものに近いように思います。

しかしその語源は一体何だろうかと調べてみると「反骨」は、中国の古い逸話が語源で「叛骨」とも書くそうです。これは中国の仙人が、骨をひっくり返して自分に施術を行い、体調を整えたとの逸話です。「反」にはひっくり返すという意味があります。

一度は見てみたいものですがどうも三千年に一度体調をととのえるため自分に施した術で、骨をひっくりかえすことだといいます。三千年に一度というのは、どういうことかなと感じます。

この「反骨」と同じようにな意味の言葉に「気骨(きこつ)」があります。この気骨とは、自分の信念を貫く強い心のことだそうです。そう考えると、骨とはどのようなものか。私たちの体は最後は骨だけが残ります。その骨がどうなっているのかという意味から考えると、見えてくるものがあります。

世の中には、権力や権威があります。それに媚びる人もいます。長いものには巻かれた方がいいと勧めてくるものです。別に権力や権威に反抗したり反対したいという気持ちがあるわけではないのです。それぞれに大切なお役目や役割があり、それを真摯に全うされている方もたくさんいます。問題はそういう状況の方が楽だからと、身近な側近や周囲の方がうまく立ち回り不誠実さを感じることの方が多く、そうはなりたくないと距離を置くだけです。裸の王様のようになっていくのは、権威や権力が強すぎるからで謙虚さを保つことが環境的に難しくなっていくからです。

私はもともとあまり権力や権威が入ってきません。なぜだろうと思うと、媚びるのが苦手だからかもしれません。媚びることがわからないのです。尊敬するからこそ、媚びたくない、尊重するからこそ媚びられない。媚びろと言われて試しに媚びてみても、媚びた真似になってしまい媚びていないのです。

媚びていないから反骨精神の人といわれたりします。そうではなく、なぜかうまく周りのように媚びれないだけです。そのうち諦めてしまううちに、今の自分が醸成されていきました。

なぜ媚びれないのかを分析してみると、「何のために」という目的意識が強いのと、「もともとはどうなのか」という元来や根源に興味が強すぎるからです。そして自分がそうなりたくないなと思うと自分ごとになって他人事のように対応できなくなるからです。

そう考えると、権力や権威というのは組織や集団、人間の集合意識が生み出したものです。だからこそ、そんなものよりもその人そのものを大事にしたいと思うほどに反骨精神が出てきます。

仙人の境地にはとてもまだ入れませんが、仙人を目指して気骨を鍛えて磨いていきたいと思います。

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