お水の知性

色々な水がありますが、水は同じ水はありません。どの水もあらゆるものが溶け込んでおり、目には見えないもの、さらにはその場所にしかないものが入っていますからそれぞれに個性があります。

現代では、ミネラルウォーターや水道水など同じもののように販売されています。どの水も同じように扱われますが、塩素が入って配管を通ってきたものや工場で機械でペットボトルに入っているものと山の湧水や汲みたての伏流水などはまったくその水の持つ性質や効能も変わってきます。

そもそも私たちは土や空気や太陽の光、その他のあらゆる自然物は感覚的には同じに感じてもまったくその性質は異なります。そして人がそこに関わることで変化します。自然は関係性において成り立っており、人が水とどうかかわるかでその水の性質も次第に変化するからです。

私は滝行をしますが、そのお滝場もお手入れをしてくださっている修験者の方の御蔭で滝の性質が保たれます。そこにはそのお滝を大切に思って調える人の何かが滝の水に影響を与えているからです。

また私は宿坊を調えていますがここにも同じように周辺のお山のお手入れをすると周囲の水の環境も変わります。水というのはそれだけ、人の影響を受けるのです。これは空気も同じく、水が含有していますから影響を受けます。そしてそれは土も同じです。

私たちは水というものに対しての認識がまだ低いようにおもいます。どれだけ科学が発展しても肝心なところは目には観えませんからそこが抜け落ちています。かつての人類の方が実は賢く知恵があったというのは水との接し方でよくわかります。

目に見えるもの、物質的なもので証拠があるものだけを信じる世の中というのは実は知性が衰えているのかもしれません。その辺は今後はAIが代わりを務めてくれますから私たちはもっと感性を磨く必要を感じます。

水はいのちのすべてです。そのお水を甦生して、子孫のために知恵を伝承していきたいと思います。

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