自信の本質

ここ数日、とても豊かなインスピレーションを感じることができる。

冬の透明な感性を受けて、より磨かれていく冷気に身も心も澄ませていくことできる。
白銀の世界は、とても静寂で生きているものをはっきりと浮き上がらせてくる。

生きていれば、様々な風景と出会いその中で自分の心が実っていくのを感じることがある。生まれてきたことが幸せだと感じるのは、自然の風景に触れて変わっていくときである。

自分が変わっていくとき、自分の心に出逢うのだろうと思います。
人は心の風景を観ているのだと思います。
目を閉じ確かに存在しているその心の原風景が私たちを素のままに戻していくのです。

そして世界には、様々な風土の中で自分らしくその命を輝かせているものがある。
またその命を必要としている周囲も確かに在る。

そういう思いやりや優しさの中で、当たり前だったことがはじめて分かるのだと思います。

夢路の旅をしていく中で、やってみたいことに思い切って挑戦していくというのは今の自分を丸ごと認めていることになっていきます。それはどんな失敗が待ち受けていようとも、先々にどんなに他人に批判されようとも、最後には自分を大切にできるかということになるのだろうとも思います。

そしてそれはその人自身であることの証明になるのだと思います。

人は自信がないからこそ、もっと多くの周囲の人たちを自信ある人たちへ変えていくことで自分の自信も肯定できるのだと思います。自己肯定感とは、実は自分だけでは得られず、周囲にも自信があるからこそ本人も自己を肯定することができるのだと思います。

幼児教育に携わるからこそ、そのことがよく分かります。
子ども達にはそれぞれにやりたい夢があるのです。

それを叶えてあげられるように環境を用意して見守るのが大人の役目なのです。

しかしそうやって今までと同じようにみんな自分に自信が持てない世の中のままだと、より自信がない人を生み出そうとしてしまうものなのです。しかしもしみんなが自分に自信があれば世の中はより自信がある人を生み出していくのだと思います。

誰かを蹴落とし競争して成功することを定義していても本来の人間らしい自分らしい生き方は得られることはありません。その人の個性丸ごとが尊重されてこそ、本来の成功であり、それであってはじめて生命は自分らしく生き始めるのだとも私は思います。

出会いというものは、いつも人を変えていきます。

自分自身の在り方そのものが人を変えていくのだから、それがより確信を持てば持つほどに新たな出逢いを引き寄せていくのだろうとも思います。

この自信というものの本質を、子ども達のためにさらに深めていこうと思います。

  1. コメント

    自信を持つことと、驕るということは意味が異なることを考えさせられます。分かった気になり謙虚さが欠ければ技に走り、心が伴わないと感じます。心技体を心体技の順だと話をされますが、心があるから人を受け入れ人との出会いがあるのだと思います。車の運転でも慣れてくると事故を起こすと聞きます。自信がついてきた時こそ、謙虚について考え直す時期なのだと思います。

  2. コメント

    最近の仕事の中で、感じるのは、自分自身が想定出来る範囲を徹底しきるという気概を持つと、自信が湧いて居るのがわかり、行動すれば自信を身近に感じます。それをいつも継続していける力が自信を手に入れたとなるのではないかと感じます。まだまだ分からない事ばかりですが、継続する事を大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    自信をもって行動するとは、自分の心に素直であり、その素直さのままに行動するという意味でもあるのだと思います。しかし私自身もそうですが、以前は周りばかりが気になり、いつの間にか自分を作り上げ、素直さとはかけ離れていたのではとやはり感じます。結果的に自信を失い、周りに対する関わりもぎこちなくなったこともあります。ある意味でつらい時こそもっと周りの為に自分を使う事で、自分の生き方も変わってくるように感じます。

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