相性相応

私は辰年辰の刻生まれなので、いよいよ干支も三回転したことになる。

この動物を用い四季や自然と融合した学問に風水がある。

私は正しく風水を習ったことはないけれど、方角を観て何かが棲んでいると感じるのはその場所その場所に相応しい気力であったり場力、間力などというものが存在しているからでもある。自分のもっとも相性の善い場所にそれ相応の時に尋ねる事で、身体の気の循環のようなものも自然に調和すると実感するときもある。

つまりは、四季の中で自らの気を感じるためにも各方位に意識をあわせていくことは大切なことであろうとも思います。水場には水場、火場には火場、土場には土場、木場には木場、というようにその場に相応しいものがもっとも相性が良いということになるのだと思います。

それ相応の理があり、私も昨年まで学びましたがこの相性や相応というものはとても大切でそこでいくら無理をしても自然の理に適っていない場合は誰がどうしてもうまくいくことはないのです。それは人間関係であっても相性相応があり自らを善く知ることでその相性というものを理解し、それを善く活かそうと思えばそれ相応の場に着く必要があるのだとも思います。そうすることで、より自他の相性より鋭敏に活かすことができるようになるからだとも思います。

風水には、そういう相性というものを理解することで自然に逆らわないことを法則にしていて、それを具体的な都市の配置設計で活かされています。昔は今と違って、自然への畏怖を忘れずに人間の棲家を鳥瞰的に観て正しく設計していたのでしょう。

「南方の池は神様の姿を写すであろう、北方は人々の騒がしい生活を阻むであろう、東方の高く聳える城郭は猛族の進入を阻むであろう、西方にひろがる林は暴風や火災を防ぐであろうからこの場所は神を祀るに最もふさわしい場所なのである。」とあります。

このような思想から、かの平安京の都は東に鴨川、南に巨椋池、西に大路、北に北山と四神相応の地につくられています。一度、その知に足を運びましたが自然豊かで安寧に満ちた場所であったと感じます。人間の猛威までは予測はできないようですが、自然界の中では今でも安心できる場所であるのではないでしょうか。
こうやって自然の理を、霊獣に例えて祭りさらにそれを生活に活かしたのは自然の智慧であるのだと思います。動植物たちも、その地場が移動するのにあわせて変化を繰り返し長い間、自然環境の中で自らの性を活かすために智慧を働かせてきたのです。
風水思想には、私たちが自然と永続的に共生していくための智慧がちりばめられています。それは自然の中で暮らしていく中で本来身に着けてきた私たちの叡智でもあるのです。
最後に、こういう言葉に出会いました。
「東方を守護する青龍は川に棲み、南方を守護する朱雀は池に棲み、西方を守護する白虎は道に棲み、北方を守護する玄武は山に棲むとされていますので東に川、南に池、西に道、北に山で囲まれた地こそが四神に護られた地、すなわち四神相応の地である。」
その中心にいることを忘れず、相性というもの相応というものを正しく理解し今年はまだまだ未知の学び直しを続けていきたいと思います。
  1. コメント

    風水で動植物を用いているのは何故なのかを考えたときに、誰にも分かりやすく伝わりかつ、人間の力では及ばない自然を用いられたら、権威させも自然には納得するしかない理由があったのではないかと思います。自然から考えるということは今も昔も大切なことなのだと感じます。これから始まるそういった取り組みを昔の人も実践していたのではないかと思います。干支にしても動物占いなどから自己を知り、自分自身を受け入れる機会、他者から見た自分を受け入れ環境を活かす自分になるよう精進していきたいと思います。

  2. コメント

    人間の思った通りには中々行かない事を実感します。また、思いを実践に変えた中で、自然の摂理にあっているものが実って行くようにも感じます。自然の摂理が分かっているわけではありませんが、会社で行っている玄米クッキーや一円対話などは実践が実を結んでいることを多く感じますし、今の自分たちにとって重要な実践だと感じます。新たな実践が実を結ぶたびに、摂理を掴み取っていくのではないかとワクワクします。

  3. コメント

    昔の方がどれだけ自然を大切にしてきたのかという事を感じました。今の時代は自分たちの考えや行動に自然をもあわせようとしているのが現実ではないかと思います。結果的に自然の理を無視した行動から今何かに気づかされているようにも感じます。今一度自然の理とは何なのかを自分自身も学び感じる事が必要だと思います。

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