子どもを丸ごと信じること

子どものためや子どもたちのためと色々とやっている人がいる。

しかし本当はそれが子どものためかと思うと、単に自分のためにやっている人たちの方が大半である。

子どものためというのは、どれだけ子どもを丸ごと信じているかによる。

子ども第一主義の理念に、子どもが第一という意味の第一は、「一」であるということ、つまりは絶対的な存在として丸ごと信じている意味での一がある。この一とは、何にも比較対象するものはないゼロとイチの一であり永遠に平行であるようなものでありそれは何にも変えられない絶対値のこと。

そしてこの一に止まると書いて「正」しいと読む。

つまりは、正しいことはこの第一の一に止まっている止揚であるということを意味し、それが何よりも中道や中庸という真理にあるということになる。

子どもが正しいと思い、その子どものやりたいことややっていることを尊重しそれ自体に対してどのように自分が子どもの正しいままの大人になった姿とし、模範を示しているかというのが子どもを丸ごと信じているとうことに私はなっている。

子どものことを丸ごと信じる模範となるには、弛みない求道精神と志を持ち、真摯に人生を幸福に導き、多くの生きとしいける命の中で輝き続けることが要る。

そのためには、子どもの歩みをその子どもの望む道を叶えていくために様々なことを譲っていくことがこの子どもの傍にいる業界の人たちや、仕事の人たちの使命であるのだ。

しかし今は、わざわざこの子どものいる傍で自分のエゴを満たそうとしそれをさも子どものためだと自分がやりたいだけなのに子どもに未来を勝手に押し付けようとする風潮さえもある。

なぜ子どものことをもっと丸ごと信じないのかと義憤を感じる。

我が師は、子どものことを見守り、子どもの育とうとすることを信じている。

それこそが人類の未来であり、希望であると確信し、子どもたちのために広くその正しい道を自らが戒律を守り真摯に実践をしてリーダーシップを発揮し、後人の人たちのためにも道を切り開いてくださっている。

子どもを丸ごと信じるとは、そういう子どもの存在、いわば人間を丸ごと信じていることに他ならない。

カグヤは、その道を歩む人たちをともに導く模範となる仕事をすることを第一に優先する会社。

これからも今の時代の常識に囚われず、常に迷わずに自分たちの道を往くものでありたい。

これからも子どもを丸ごと信じるモデルとして、子どもに寄り添い、子どもの心でお仕事をさせていただける感謝のままに実践躬行に努めます。

  1. コメント

    子どもを信じることが出来ない心は、まさに自分自身の心の弱さや人を信じる心の弱さ、受容する器の小ささではないかと、自分自身を見て思うところですが、子どもに対する見守るという決意、自覚、覚悟を問われる瞬間が有り難いことに生きていると、仕事の場面や子どもと接する場面や友人と喧々諤々と話し合う時や、尊敬する方々との会話など、様々なときに現れるように思います。
    こういったタイミングを大切に大切に向き合い、自分自身を磨いていくことが大切なのだと感じています。

  2. コメント

    教育の要素には読み書き計算のようなこともありますが、根底には自立と共生を体得する
    ことにあると思います。
    教育の必要を考えると、時代を作っていくことができるのはその時代を生きている人にか
    できないからだと考えます。
    プロスポーツ界では自分のプレーが通用しなくなると当然、引退し、若手とベテランの循環が
    続いていきます。
    日本のサッカーJリーグでは平均選手寿命は27歳だと言われています。激しい競争と技術の進歩が、
    業界の発展に繋がっているのだと思いますが、世代交代が進まない業界でよく権力の存在や本質的ではない
    ところに価値を置き、保守的になって本来の機能を果たせなくなり、時代が求める価値基準と業界内が
    創り上げる価値基準とがそぐわない状況をよく見ます。
    命を引きついていくこと、先に世の中からいなくなる大人達の自覚として今、何をしなければ
    ならないのか、次の時代の担い手達に何を残し、引きついていけばよいのかを考え、
    自分達の時代や社会を想像し創っていく子ども達を信じて見守ることしかできないのではないか、
    先にいなくなる今の大人が責任を持ってできることだと思います。

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