道草日記~あるがままに~

先日、「ファン・デグォンのLfe is peace with 辻信一」のDVDを拝見する機会がありました。以前、自然農の川口由一さんのDVDと同じシリーズだったので、自然をテーマに本質的なお話が拝聴でき、新たなインスピレーションをいただくことができました。

このファン・デグォン(黄大権)氏は、米国留学後、帰国した際にスパイと間違われ激しい拷問とそのまま13年と2ケ月という月日を独房で牢生活を送っています。その中で、様々なことを生き直し野草という身近な存在に気づいてそこから自然というものに入り込み「野草手紙」という獄中から妹に宛てた手紙が出版されると100万部を超えるミリオンセラーになったとのことです。

この物語だけを聴いても、吉田松陰のことを思い出します。吉田松陰も妹がいて、獄中から様々なことを妹に手紙を送っています。それに獄中で囚人たちと共に学びその講話を記述した「講孟箚記」は100年を超え今でも読み継がれるミリオンブックです。

その人が艱難辛苦を耐え忍び、その志を堅古にし内省により掴んだ智慧はいつの時代も人種の違いもなく真理として心に深く響くものがあるように思います。

この話の中で特に印象に残るのがカササギの観察の話です。私も動植物の観察はライフワークなので巣をつくるところと自分の居場所を組み合わせで直観した話はとても参考になりました。

これはカササギが、巣をつくるために何回も何回も試行錯誤し最初の枝が木の隙間にストンと入るまで諦めずに新し枝を探し求めて旅を続けるというところです。そして「平和や幸せというものは、それと同じく自分のいるべき場所にいることだ」と言い切ります。

「そこには一寸の狂いもなく、本来の場所に収まっている。それは人智を超えた神の精妙なるデザインである」と続きます。ここにも自然の仕組みをこの方が発見していることを悟ります。

私達人間というものは、自然から離れ人工的な欲を満たす世界の中で謙虚さというものを忘れてしまっていくものです。本来は、自分の思い通りになどいかず、その方が思い通り以上の素晴らしいことが起きていることも分からなくなっていくものです。

そうしてみては不平や不満を言い、自分の居場所ではない所の方を羨ましがり本来感謝していたはずの存在そのものの有難さよりも、自分にとって都合のよいことのみを嬉しがるといった道から外れた幸せを追ってしまうものです。

しかし本来、自分の与えられた天分というものは自分が決めたものではなく生まれ落ちたところから今にいたるまで全ては全体の中の一部として存在させていただいているものです。自分がそうさせていただいているという実感は、自分があるのは様々な御蔭様の上に成り立っているという謙虚な気持ちを持っているということであろうと思うのです。

本来ならば、自分が地球上でこれだけの自由にさせてもらいながらそこへの感謝を忘れては地球や宇宙への貢献ということも何の事だか歪んで解釈されていくのかもしれません。私たちが活かされているということも自然の動植物は当然に自覚しているからこそ、先ほどのカササギの枝のようなものまであるがままに観えるのでしょう。

あるがままの心で生きるというのは、素直に活かされていることを実感するということだと私は思います。そして今、居るこの場所を深く厚く掘り下げていくことだと思います。生きている以上は活かされているはずです、それは空気も水も光も風もみんな自分を活かしてくださっています。

だからこそ自然の有難い御恩にどれだけの感謝を盡すか、共に天命に活きようという声掛けなのかもしれません。道ということは、目で追わなくなり心が定まった時に顕現するものかもしれません。暗闇の中に一筋の光が差し込むようなものなのかもしれません、私も絶望の度にいつも助けて下さる方々に出会い人生がさらに歩みだしていきます。

ファン・デグォン氏は野草でしたが、私の場合は道草なのかもしれません。このかんながらの道のブログも私という草を活きる「道草日記」のようなものだからです。これからも自然に活かされる有難さを感じつつどんな機縁も勿体ない心で、自然と共に強く優しくあるがままに歩んでいきたいと思います。

  1. コメント

    自分に与えられた道は、自分だけしか歩めない天与の尊い道です。他人の道を羨み、自分の道に文句を言っていては、人間の道から外れてしまいます。心を定めて、いま立っているこの道を、人生を懸けて歩むしかありません。無いものねだりをやめ、この道に用意されている宝を楽しみに、休まずに歩み続けたいと思います。

  2. コメント

    もし自分もこれから13年と思うと年月の重さを感じます。その中でも身近なところに気づき変化していくにもまた必要な時間がかかることを感じます。人と同じ時間を過ごす中で自分自身が何に気づくかは実践量が物語るのだと思います。どういった環境下でも行動していくことに重きをおきたいと思います。

  3. コメント

    目覚めようとする意識と、覚醒されやすい環境と、その両方が必要なのだと思います。望み欲することばかりに目がいきがちですが、自分の今をしみじみと省みれば、とても満ち足りていることに気付き感謝の念が湧いてきます。子どもにも何か特別なことをして得る幸せではなく、身近にある当たり前の幸せを感じられる子になってもらいたいと思います。親としてどのような背中を見せていくのか、それが子どもへの愛情の表れなのだと思います。

  4. コメント

    今年亡くなられた、ネルソンマンデラ氏を想いました。27年の間、信念のままに、そして信念とその信念に呼応した人々に助けられ、導かれるように南アフリカに道を築いてきたマンデラ氏も、同じように、自分の存在を越えたものからの幸せの享受を受けていたのではないかと感じますが、そこに気付くことが出来る己の強さに感動します。マンデラさんの許しの精神も、なにか本質そのものとして強く自分自身に影響を頂いていると感じます。あるがままのサインをしっかりと受け取れる自分で居たいと思います。

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