緊張とプレッシャー

人生ではプレッシャーや緊張を感じるシーンというものは沢山あります。それはスポーツであったり試験であったり仕事であったりと様々です。これらは成長していくために必ず通過するものであり、人生の中では何度も似たような体験を積んで発達していくように思います。

ここで緊張とプレッシャーを深めてみようと思います。

そもそも緊張とは、自分のことを意識するという自律神経の働きともいえます。自分が失敗したらどうしようかとか、自分がうまくできなかったらという他人から評価されてしまう恐怖感から湧き上がってくるものです。結果を気にしすぎたり、最悪な場面は避けようとし過ぎたりしているうちに感情に呑まれてマイナス思考に陥ってしまいます。脳科学的に言えば、前頭葉前部が正常に働けなるからだと言われますが、自意識過剰になることで心と頭のバランスが取れなくなってしまうような感覚に陥るのです。

例えば、誰でも自分のことをあまり気にし過ぎたら自分の手足でも動かづらくなる体験はしたことがあると思います。自分のことを気にせずに動かすときは正確でも、自分のことを気にしすぎるとうまく動かすことができません。もちろん、緊張を乗り越えるには体の慣れという場数の練習、このパソコンのキーボードを打つように最初は意識して打っていたものが今では自動で打てるように何度も何度も練習することが必要です。しかし同時に、心もヤル気を維持して何度もチャレンジする勇気を出す練習が必要です。そしてそれを達するために技能を磨く練習も必要です。つまり以上の心技体の経験とバランスがあってその緊張も解きほぐされていきます。

一般的には緊張はよくない、緊張するなとはよく言われますが、ある意味でのプレッシャーは善い、プレッシャーを転じていけと言われるのはなぜかということを考えてみます。

そもそもプレッシャーとは、重圧や威圧という意味で使われます。これは外圧的な力で何かの圧迫感があるというものです。自分だけの体であれば身軽ですが、背中に背負うものがあったり何かの重荷が乗れば思い通りには動けなくなっていきます。

例えばチームスポーツや仕事であっても皆の期待を背負って取り組んだり、ここぞで外してはならないような大事な局面に善い働きができるかどうかの時にプレッシャーを乗り越えてという言い方をします。プレッシャーとは、役割を担い、責任を負うということであり、自分が背負って立つのだという自覚がある人がはじめて感じれるものです。なので緊張とは少し異なり、仲間のためにや誰かのためにと成長してきた人たちが実感するものです。

組織の中でのキャプテンやリーダー、またはエースをはじめある種の立場を持つ人たちはいつもチームの中で実力が認められた存在です。だからこそいつもプレッシャーにさらされているともいえます。

しかしこれがその人を真に成長させていくものになります。人は自分だけのことを考えていたらあまりにもちっぽけな存在になってしまいます。自分を含めた周りの多くの人達のことをどれだけ思いやりその人たちのことを考えているかで偉大な存在にもなるのです。

人間は、自分が授かった恩恵や感謝などの歓びがあればあるほどに御恩返しをしたいと願うものです。そしてそれが自分の挑戦が誰かのための勇気になると信じることであり、自分が諦めないことで誰かの幸せになると信じぬくことができるのです。

このプレッシャーというものは、実は大変有難いことであり、それだけ実力が備わってきた証であるとも言えます。自分が誰かの役に立てるところまで努力したからこそ、自分が誰かの役に立ちたいと本気で願ったからこそプレッシャーもかかってくるのです。そのプレッシャーが真の自律や自立を促すことでリーダーへの道のりを歩んでいくように思います。

そしてリーダーになるとき、そこに仲間の存在に気づくのです。仲間がいるからこそ、努力でき、仲間を守りたいからこそ強くなりたいと願うのです。そして仲間を守りたいと思うからこそ助けになるのです。

話を戻せば緊張は自分自身で練習をして乗り越えていくものですが、プレッシャーは誰かや周囲のためにと思いやりを実践することで乗り越えていくものではないかとも私は思います。

そしてプレッシャーを転じていくというのは、それを福にしていくということであろうと思います。何があっても誰かのために遣り切ったのならばそれで善いという境地です。この生き方に人が感動し、それが他の誰かを変えていくことになるからです。

善い意味でのプレッシャーとは、重圧を避けることではなく重圧があるようなお役をいただけたことに感謝する心のことかもしれません。福に転じるには、そういうお役目役割が必ず誰かに交代されること、それまではしっかり自分が勤めようと謙虚に生きることなのかもしれません。

活かされるというのは、自分の役割と影響力を自覚することのように思います。

緊張とプレッシャーをミマモリングし、新たな成長を促していきたいと思います。

  1. コメント

    「緊張」してしまうとなかなか実力を発揮できませんが、ある程度の「緊張感」を持って、その「緊張感を楽しみながら」仕事に臨むことは大事であると思っています。一方、「プレッシャー」は、周りからの期待や本人の役割の大きさを現しており、有名税ならぬ「実力税」みたいなものかもしれません。ただ、あまり責任を感じ過ぎたりすると、人間として潰れてしまう可能性もありますので、「メンタルトレーニング」が重要です。特に、リーダーには、きちんとしたプログラムが必要なのではないでしょうか。

  2. コメント

    同じ仕事でもこれまでの背景や経過があると、同じ内容の仕事であっても別物であることを感じています。緊張している時はまだその重責の意味も分からず、ただ目の前のことしか見れていなかったように思います。ここにきて「プレッシャー」を感じ、自分のことで捉われている場合ではないことを感じています。自分もその境地にやっと足を踏み入れてようとしているのかもしれません。これまでどこか本気になりきれないところがありましたが、プレッシャーを楽しんで仕事をする境地に近づいていきたいと思います。【〇】

  3. コメント

    ゼロからスタートする時は緊張の連続ですが、それがいつの間にかプレッシャーに変わり、知らずのうちに遣り甲斐や歓びに変わっていたという経験を、今までの人生の中で有難いことに何度か体感してきました。だからこそ相手が感じる責任に対しての不安というものを多少なりとも感じることができるようになったように思えます。強い緊張も大きなプレッシャーも自分を成長させる力になるだけでなく、相手の立場になって寄り添い共感するための力にもなるのだと思えば、もっと心を遣って今いただいているお役目をしっかりと果たしていきたいと思います。

  4. コメント

    ソチのオリンピックをみていると、正にプレッシャーをどの様に受け止めるのかというところに、試合とはまた別の勝負があると感じます。上村愛子のように、プレッシャーもお陰様と受け取る心の姿勢が強まればプレッシャーは後押しとなり、そうでなければ、プレッシャーは、オリンピックは普段の七掛けの力しか出ないとなるように感じます。それは、挑戦するということに対する姿勢と重なります。オリンピックに限らず、日々の挑戦の姿勢をいつも感謝の気持ちで受け取れるように、日々の感謝を漏らさぬ自分で居たいと思います。

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