天の恩恵

人は自分の人生を遣り切るかどうかというのはとても大切なことのように思います。

そもそも人生の善悪も好悪もそれは、自分の都合で置き換えられているものです。自然界や全体から観れば、そうなるようにそうなるのは必然であり、なぜ自分がと思うことの方が多いのが人間ですがそれはバランスの中に存在しているのが私達だからです。

誰かが強く引っ張れば、その反対は引っ張られるかのように御互いに関係を引きずりながら右往左往しているのもまた人間社会であろうとも思います。その中で如何に自分の人生を味わうのか、生き切るのかは、どうせどうにもならない運命だからと悲観するのではなく、運ぶのは自分だからと考えることで同じ運命でも異なったものになるように思います。

そして運に対して命とは何かといえば、どうにもならない中でも最善を盡すということでしょう。

その最善を盡すとは何かとえば、「必ず意味がある、必ず善いことになる」と信じているということです。一見、今までの過去から捉えたり、一般的な解釈からみれば不幸であったり不運であったり、不調であったりと感じることがあったとしてもそれを如何に前向きに捉えて福にするかということです。

幸せという字は仕合せであり、ぴったりと合わさっている意味です、そしてそれが福であるということです。つまり何事も全ては福であるという考え方のことをいうように思います。

人は最も苦しい時、前向きになれるかどうかが何よりも大切なことのように思います。そしてそれは誰もが善くないことが起きていると思うことを仕合せ、それを転じてこれは総じて善いことだと誰よりもその人の運命を丸ごと信じることができるかということです。

信じるというのは、言い換えれば結びは必ず善いことになると信じ切っているということです。そこに疑いを持たない生き方というのは、自分の人生を生き切る実践とその眼差しのままに、目の前の人のことを思いやり一緒に遣り抜く覚悟を持っているということなのでしょう。

そしてそのたった一人の自分の御役目を諦めないというのは、最期まで自分の役割を全うさせていただくという感謝の発心のように思います。

産まれてきては、日々に様々な御役目をいただき、そして豊かな役割を与えてくださるのが天の恩恵です。その天の恩恵すべてを受け取ることができて活かされているのが私たちなのかもしれません。

出会いがいつもそれを形を変えては教えてくださいます。

これからも真心のままにかんながらの道を噛み締めて往きたいと思います。

  1. コメント

    起きる「事実」は「運命」かもしれません。しかし、その「事実」をどのように受け取り、そこからどんなメッセージを学び取り、どのように自助努力して新しい未来を開くかは、自分に任されています。与えられた自分の命を、誰のために生きるかということも任されています。そう考えると、何の縛りもありませんが、天から与えられた役割を生きることが、最高の自由なのではないでしょうか。

  2. コメント

    これまでは「福」というと「福祉」が思い浮かんでいましたが、最近は「福」そのものが思い浮かびます。心境、価値観の変化は言葉積み重ねよりも実践が増したからかもしれません。言葉で説明しようとすると難しいことはたくさんありますが、してもらってうれしかったこと、してあげて喜んでもらった体験は何よりも自分を変える機会なのだと感じています。喜んで頂く姿を見ると少し自分も役に立てたかなと少し誇らしい気持ちになります。お互いにとって嬉しい仕事を重ねていけるよう、体験を通して転じる力を養っていきたいと思います。【●】

  3. コメント

    一円対話のファシリテータを通じて、必ず福になると信じることの大切さを実感しています。これも日々の繰り返しによる訓練の積み重ねが必要に感じます。仲間や周囲の支えがあるからこそ今の自分の役割があるのだと言うことを忘れずに、今日も感謝の一日を過ごしたいと思います。

  4. コメント

    良いか悪いかという、二極の考えではなく、丸ごと受け止め福と転じるという考え方に助けられる機会が最近増えてきています。とても嬉しく、有難い気持ちになりますが、何よりまわりの見守りに囲まれていることを実感出来ることが嬉しく思います。
    受け取り方で変わり行く世界を味わって生きたいと思います。

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