自然の視野

視野の広さというものがあります。

視野が広い人は全体や丸ごとで物事を観察することができますが、視野が狭いと自分の価値観によってしか物事を観察することができなくなります。視野にはその人の観念がありますから、その差がその人の生き方ともいえます。

先日、ある動物が絶滅するからと別の島に運びそこで種を増やすということが報道で流れていました。また植物の種が絶滅するからと氷の下で保存しているという話もあります。それが良いとか悪いとかではなく、どの視野でそれを考えて行っているかに視野の差を実感するのです。

生きものが絶滅するにも理由がありますし、生き物たちが増えすぎるのも理由があるものです。時代や自然の流れにしたがい、あるものは減りあるものは増えるのです。それを人間がどうしようかといっても、それも自然の流れでもあります。

自然の流れに逆らわないという言葉もありますが、正確には自然の流れには逆らえないという方が本質なのでしょう。人間は自然に逆らうことができるという視野と、自然に逆らうことができないという視野があるのです。

前者は西洋文明が発展してきた理由であり、後者は東洋文明が長く存続してきた理由でもあります。

自然に逆らえば、人間の知恵が自然を凌駕すると勘違いします。実際は植物がなければ空気すらなくなりますし、菌類がいなければ何も栄養が吸収できないほどですから凌駕できるはずはありません。

自然に逆らわなければ、受け入れることをはじめどこまでが許されるのかを自覚することができるように思います。それは自分たちが許される分限分度を理解するということです。

視野というのは、その人の内面が顕れるものです。どこまで遠くを観ているか、どこまで丸ごと観ているか、どこまで広く観ているか、どこまでつなげて観ているか、どこまで深く観ているか、どこまで時空を超えて観ているか、そういう視点がその人の心胆力とも言えるのでしょう。

物事を深めている人たちの視野はみんな同じような視野の広さで測るモノサシを持っています。これからどう生きるのか、これからどう歩めばいいか、未来を譲るためにどうあるべきかを見通します。

視野に限界はありませんから常に自然の視野に広げていきたいと思います。

  1. コメント

    自分自身の価値観で考えていないだろうか。
    それだけを思うと不安になります。しかし、あの人はどう思うだろう、地球はどうだろう、会社はどうだろう、娘ならどうだろう、と考えていくと楽しくなります。
    今朝も、息子の出際の癇癪に自分自身の価値観からは、どうにか泣き止ませようと思いますが、天は、娘は、と考えると、、、想定外でした。
    お姉ちゃんの一番大切なものを渡して、安心させてあげる。

    その姿を見て、完全に想定外の体験と、娘にも、息子にも、夫婦にも、今がこんな素敵な体験の機会だったのか、、と不思議に思います。
    きっと何か意味があるんだろうという、決めつけない視野の大切さを掴み取りたいと思います。

  2. コメント

    広い視野というのは、その人の「想像力」とも関連しているでしょう。そして、それは、その人の「関心力」がベースになっているのではないでしょうか。今日投げかけられたボールが、どこまで届き、誰に、どんなカタチで影響を与えていくか、それを「縁起」すなわち「原因・結果の連鎖」で考え、歴史を見るように、時間的な流れと空間的なの展開を見通せる力が、その人の心の世界を形成しているのでしょう。また、その「関心力」は「責任」にもつながっています。結局、どこまで責任を感じているかということが、関心力を高めるとともに、心の力を磨いていくのではないでしょうか。

  3. コメント

    「鳥が急に飛び立ったら向こうに敵がいる、氷が溶けたら春が来る」。本か何かで見た時、すごい観察力だと感じました。目に見えないことを察することも視野だと考えるとその奥深さは計り知れません。本当は何かと自問を繰り返し本質的な方を目指していきたいと思います。【●】

  4. コメント

    自然は己の価値観など一切挟まずにあるがままを受け入れるのでしょうが、自分はと考えれば、こうであろうという価値観のフィルターを通して善いだ悪いだと決めつけていることが多いのだと感じます。それもまた人間なのかもしれませんが、もっと丸ごとを受け入れ、全体から物事を観ていく必要を感じます。対処療法と根源療法もまた同じで、本当の問題は何かを求めていきたいと思います。

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