古い友人

久しぶりに古い外国の友人に会っていると色々なことを思い出します。こちらから連絡が取らないでいると疎遠になりますが、いつも連絡をくれて一緒に会いたいと思ってくれるのは本当に有難いと思います。

古い友人といえば以前、「ゆるす言葉」(出版イースト・プレス)というダライラマ14世の著書にこう書いてあったことを思い出しました。

私は誰と会おうと、古い友人として迎えようとしています。このことが私を本当に幸せな気持ちにさせてくれるのです。これが、思いやりの実践です。

どんな人に会おうとも、それは自分にとって大切な古い友人であるということ。ご縁を大切にする一期一会の真心の実践に生きる姿から敵も味方もなく愛するということの偉大さを感じます。

またこの本は「ゆるし」に関することばかり書かれていますがいくつか紹介します。

「ほんとうの意味の思いやりは、まず自分自身に対して向けられるべきものだと思います。まず自分自身に思いやりを持ち、それを周りの多くの人たちに向けて広げていくのです。つまり、自分自身を忌み嫌い、嫌悪しているような人は、他者を思いやることなど不可能なことだからです。」

自分を愛するように人を愛せて愛を循環することができるということなのでしょう。自分を素直に愛するには正直に生きる実践が思いやりを育てるのでしょう。

「ゆるしの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく、「自分を自由にする手段」です。」

自分を自由にするというのは、一生懸命に真摯に生き切るということです。なぜなら人事を盡すのならばそこに悔いはありません。悔いがないということは、全力を出し切ったのだから後は天にお任せしますという謙虚な心になるからです。思いやりでいる、思いやりのままで居続けるというのが自分を自由にする最善の方法そのものだと私は思います。

最後に、経済のことや大義についても語られます。ここに今の社業の命題もありますし、世界が今、置かれている最重要課題について書き記されているので紹介します。

経済は大切です。しかし、人間性はもっと大切です。人権や環境問題など、経済より大切なことはたくさんあります。利益を求めてビジネスの世界で関係を築いているときにも、大義を見失わないことが肝心です。」

平和を愛するということがどういうことか、子どもの周りにいる私たちだからこそ常に身を引き締めて実践を高めていきたいと思います。

  1. コメント

    友人とやり取りする中で怒りが込み上げてきました。些細なことだったのかもしれませんが、募り積もった感情を吐き出しそうになりましたが、心の中のもう一人の自分が必死で抑えようと、そもそも何かを問い、部分でなく全体を見よと言い聞かせてくれました。ただただもう一人の自分に感謝するばかりですが、自分自身の至らなさを痛感します。感情を向けた相手は友人ではなく、むしろ自分自身に対してなのだと感じています。
    この機会も一緒に仕事をする意味を深める課外活動なのだと捉え、学んでいきたいと思います。【○】

  2. コメント

    「許さない」という感情は、「そのときのことを今も罪として問い続けている」ということです。一時的には、お互いに感情的になることもあるでしょうし、言動を間違うこともあります。しかし、あまりにも長い時間、根に持ち責め続けることは、それ自体が一種の罪になりかねません。積極的に「忘れてあげる」ということも学ばないといけないのではないでしょうか。そういう胆力も身につけたいと思います。

  3. コメント

    自分の中に強い思いがあったとしても、それを形にしていかなければ理想と現実とのギャップに苦しむのだと思います。しかし、それ以上に恐れるべきは、思いが無いこと、思いが私欲でしかないこと、形にしなくても満足してしまうことだと感じます。自分と正対し、自分との関係を深めることで、自他を大きく受け入れることの出来る思いやりを持ちたいと思います。

  4. コメント

    自分の感情をそのままに物事を見るとその出来事を感情が持って行ってしまいますが、感情を川に流し、物事を見ると出来事が教えてくれるメッセージを受け取ることができる世界に足を踏み出せるのだと感じます。感情を川に流せれば良いですが、中々その場でとは行かず、自他への許しにつながらないことばかりですが、内省の機会に助けて頂いていると感じます。毎日が道場と思い、向き合って行きたいと思います。

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