いのちの徳性~万物の霊長~

「万物の霊長」という言葉があります。これは孔子の編纂した書経(秦誓上)の中に人類というものを解釈して書き記されたものです。実際に何を目指して人類は万物の霊長たれと孔子は言ったのか、それを理解している人が少ないように思います。

自分たちが動物たちや食物連鎖のトップだから霊長というわけでもなく、他の動物よりも寿命が長いから霊長であるというわけでもありません。その本質について深めてみようと思います。

そもそも私たちをはじめすべての生き物は、何を伸ばしていきたいかというものがあります。それは進化でも証明されています。生き物にはそれぞれに特有の固有の能力があります。

鳥であれば空を自由に飛び回りますし、魚は自由に泳げます。地上を走る動物たちもいます。そしてそれはさらに分化し飛び方から泳ぎ方、走り方に至るまで、あらゆる自分たちの特性を活かして進化成長を続けるのです。それは私たちが真似と道具を使う能力があるように、他の生き物たちもまたそれぞれに自分たちの得意分野で能力を伸ばします。

それでは孔子はこの能力がどんな動物よりも高く優れているから万物の霊長といったのか、私はそうではないと思います。

動物だけではなく樹木までありとあらゆる生き物には心があります。その心とは人間にわかるように話せば他を思いやる心があるということです。これは能力の特性ではなく「いのちの徳性」と名付けてもいいかもしれません。活かされている存在だからこそ備わっている唯一無二の徳性です。

このいのちの徳性を伸ばしていくことでどんな生き物よりも思いやりが長けている存在、それこそが万物の霊長であると孔子は定義したのではないかと私には直感するのです。なぜならそれが孔子が目指した理想でもあり、私たちをはじめ地球に生きているすべてのいのちを奥深く見つめ感謝し哲学する生き物たちが目指すところだからです。

例えばあのクジラやゾウなど、脳にシワが沢山刻まれている生き物たちのシワは私たち人間のように余分な知識を詰め込んでシワが多いのではありません。非科学的だと笑われるかもしれませんが、あのシワは思いやりや真心を伸ばしてきてついたシワです。樹木であればあの年輪こそがシワなのです。そしてあのシワはいのちの徳性を伸ばした生き方や哲学によって深く思いやりを学んでいる証拠だと私には思えます。

家族を大切にしたり、他の生き物たちを大切にする、その思いやりの心がまるで太陽や月、地球のような偉大な慈愛慈悲を持てるようになってはじめて「万物の霊長」、つまりは「いのちの徳性」を伸ばしたものというのでしょう。

私たちが本来、磨かないといけないものは単なる能力ではないように思います。それはあくまで付属的要素であり本質ではありません。私たちがこれだけ自由に地球の中で生きることができることに感謝するなら私たちに与えられている大きな使命をも同時に感じなければなりません。

能力ばかりで他を裁き押さえつけ排除するのではなく、思いやりの心で他と共生し他を活かすことを本懐や使命にすることのように私は思います。

孔子の言う、「万物の霊長」として恥じないように他の偉大な生き物たちの思いやりを尊敬し自らの真心、「いのちの徳性」をかんながらの道の中で磨いていきたいと思います。

  1. コメント

    「職人技」のような、徹底した修練や鍛練によって磨かれた感性的な能力は貴重なものです。これらの神業と呼ばれるような能力は、人間の限りない可能性を教えてくれます。一方、思いやりや優しさ、親切という心の力は、いろいろな関係性の中にこそ発揮される、まさに「いのちの徳性」と呼ばれるに相応しい豊かな愛の念い、慈悲の心でしょう。この「愛と慈悲」のような心こそ、日本再建の基本テーマとして、みんなで高め合うべきものではないでしょうか。この力を信じたいと思います。

  2. コメント

    論語で「仁」について何度も例を用いて説かれ、「いのちの徳性を伸ばす」ことに合点がいきます。目には見えないからこそ、何度も何度も場面ごとに例を持ち出すのはそこに近づこうとする思いであり、方向性を確認しているからなのだと感じます。すぐ自分のことに走りそうになりますが相手を思う想いや言葉、行動にして現していきたいと思います。【●】

  3. コメント

    人や物事や頂いた機会や過ごした一日について、そのあるがままの価値をしっかりと感じられることが、そのものを活かしたいという思いやりに繋がるように思います。知らずのうちに自分にとって得かどうか、金銭的な価値があるかというような我欲のモノサシであらゆるものをはかってしまいがちだからこそ、心で大切なものは観ていきたいと思います。

  4. コメント

    自分の周りにいる人々ならず、木々や建物、水や食べ物、様々に思いやられて生きていることを自覚することから始められればと思います。
    自分の命もそもそもが、その思いやりの中で育まれ、今があるのだという事実をつい忘れ、都合のよいところで思いやりという言葉を使わない様に、気をつけて行きたいと思います

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