自然の本能~足るを知る~

今の時代は古い暮らしをしていた先住民たちの文化が壊れている時代です。グローバリゼーションという名の波が、世界中のあちこちにまで蔓延し多様な暮らしを一つの暮らしになるように変えてしまいます。

隣国の中国でさえ、15年前と今ではまったく暮らしが変わってしまい都市部ではかつての中国の様子がほとんど感じられません。今ではあの広大な国の僻地にまで大規模工場や娯楽施設、西洋的な住宅が増えてはそれまでの悠久の暮らしはなくなってきています。

アフリカやブータンなどという古い暮らしも次第にその波に脅かされています。もともと持っていたものの価値を否定し、若い人をはじめ自分たちが西洋人と比べて持っていないことを不幸だと植えつけられ、その不幸を避けるためには勤勉になるしかないと教育し不幸を抜け出すために必死に経済のために働くのです。

みんなが持っているのに自分は持っていないという考え方は貧しい考え方だと言われます。しかし本当は貧しいのではなく、足るを知らなくなることで不幸であるという生き方になってしまうのです。

老子に「足るを知る者は富む」があります。「足ることを知らないと不幸になる。欲が多すぎても強すぎても不幸になる。足ることを知ることに満足できる人は常に幸せでいられる」(老子第46章より)があります。

そもそもの貧しさとは不幸のことであり、豊かさとは幸福のことです。真の豊かさというものは、持っているか持っていないかということではなくすべて持っている、「今の自分のあるものはもっとも今の自分に相応しい」と満足し、だからこそ感謝して、その上で御恩返しになるようにさらなる生活を向上し自助練磨、修身精進していくようなものです。

畢竟、自分は誰とも比較できない自分自身であり、自分自身は絶対的に自分であるという唯一無二の自分らしさよりも誰かや周りと比較しては自他を羨みそして競争し、集団に餌付けされ飼いならされ本能を忘れてはまるで自転車操業のように毎日只管走らされて止まることを恐れ不安にさせられています。そうやって視野狭窄にし追いつめられては周りを巻き込んでいくのが今のグローバリゼーションの手法です。

そこに自分自身が負けてしまうことで不幸は蔓延してより多くの人たちが物が溢れて裕福なはずなのに仕合せに生きられなくなってきています。

かつての暮らしは、自然を優先し人間を少し下げて調和を重んじてきました。

今は人間が何よりも最優先で、自然であるよりも人間社會の中での上下の差や貧富の差にばかりフォーカスされては幸不幸を語られます。一度、破壊され喪失してしまったかつての文化の中にもう戻ることはできず一度走り出したら自転車操業しかありません。

もう一度、真の仕合せとは何か、真の豊かさとは何か、「足るを知る」心から見つめ直して本来の本能を呼び覚ましていく必要があるように思います。

足るを知る心とは、自然界の本能だからです。
自然の本能の減退こそが、人間の不幸だということです。

自然界の本能を育てて磨いて、本来の人間の仕合せを働き方と生き方の一致で新しい時代の真の豊かさを次世代へとモデルを示し譲っていきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    「豊かさ」を、「外付けの富」に求める人と、「内なる幸福感」に求める人がいます。外に求める欲望は「不足感」から生じ、それを得ることができれば、すぐに上方修正されて次の欲望に変わるため、「慢性的な不足感」に襲われることになります。この「不足感」は、単なる比較ではなく「スタンダード」という発想に煽られています。この「スタンダード」という価値観から自分を解放しておく必要があるのではないでしょうか。

  2. コメント

    部活に入部するともちろんながら先輩たちがいて、準備や片付けは後輩の仕事としてありました。1年経つと後輩が入ってきて準備片付けを一緒にするようになり、翌年は後輩に任せる。時間とともに慣れてくるとだんだんと当たり前になっていきました。それは中高生のときだけでなく今もあり、当たり前と思う慢心さが自分をおかしくさせ、気付くとハッとさせられます。自らすぐに気付けることはまれですが、そういう態度を取っていないか日々省みたいと思います。【●】

  3. コメント

    昨日、稽古の帰りに神社に寄り子どもと話したのが、この「足るを知る」でした。省みれば満たされていることばかりです。清々しい気持ちで神社に行き自然と手を合わせたくなるような、感謝の気持ちでいられるよう、子どもと一緒に刷り込みに負けない習慣を持ちたいと思います。

  4. コメント

    自分より自然をちょっと上げて調和をはかるという状態まで中々まだ我が家では出来ていませんが、今はまだイメージとして大切にしている事が自然に対する自分目線での感謝で止まっているからかも知れません。昨日も出来上がった塩麹を使った料理を作りながら、ありがたい!と感じながらもそう思っているのも自分だけ、と独り占めをしてしまいました。もっと作るプロセスから、家族とやっていく事を大切にしていき、感謝の輪を広げて行きたいと思います。

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