素直の手入れ~認めるということ~

人は人間関係で悩むとき、そこに互いの利害が発生していることに気づくものです。もしくは自分の好悪感情から、好き嫌いを分けては感情が波立ちそのことからトラブルが発生していくものです。

結局は、自分の中にある執着や固執が相手との中の軋轢になっているとも言えます。松下幸之助さんは「素直な心」を持てば、そういうものも談笑のうちに和やかに仲良くできると言いますが、この素直な心とは常に自分の方が変わるという心のことを言うように思います。

人間関係で問題が起きてくる最も大きな原因は「認めない」ことに由ります。自分が相手を認めていないからこそそこに認めさせようとする互いの軋轢が発生するように思うのです。そこにはプライドがあったり、自分の我の方を優先したいという我儘があったり、正しいと一方的に思い込んでいる傲慢があったりと、問題が起きては「身から出た錆び」だと自分に矢印を向けては反省していないと何度も繰り返し同じことが起きては素直になれなくなるものです。

この「身から出た錆び」とは、刀から出た用語であり刀身が錆びて腐ってしまえば刀も自分の身も失ってしまい取り返しのつかないことになるという意味です。これは人間関係も同じで、本来の心が素直ではなくなってしまえばそこに問題が生まれそのことから取り返しのつかないことをしてしまうということと同じです。

刀であれば日々に怠らず手入れをすることで錆びないようにしていきます。そして人間であれば日々に怠らず心に手入れをして素直のままであるようにしていくのがいいのでしょう。

日々に素直かどうかの内省は、日々に認めているかどうかのチェックでもあると私は思います。どんなことも認めていく、そのことから融通無碍で一視同仁、公平無私の柔軟で素直な心が育つなら自ずから人間関係は和合し倖せと豊かさを感じる謙虚な自分のままで愉しい社會を暮していけるように思います。

素直の心は奥深すぎて、その学びに一生涯の修行の醍醐味を感じます。

初心と同じく、座右に据えて実践を取り組んでいきたいと思います。

 

  1. コメント

    「認める」とは「受け入れる」ということであり、「受け入れる」とは「信じる」ということです。自分の都合、自分の欲、自分のプライドを先に持ち出し、それに「とらわれる」と、ものごとの実相が見えなくなり、素直に受け入れるということができなくなります。松下幸之助さんは、毎日、「とらわれなかったかどうか」を省みることを30年(一万回)続ければ、誰でも「素直の初段」になれるとおっしゃいました。それほど、厳しい道ではありますが、ぜひとも「素直の黒帯」を目指して、一日一日「自分の都合にとらわれない修行」を積み重ねていきたいと思います。

  2. コメント

    蓼藍の種を蒔くのと同時に「藍が来た道」という1冊の本を購入しました。ですが、まだ読んでいません。知らないから早く知りたいという好奇心とやってみてから何でだろうと思うこと、調べるタイミングは今なのかなと感じます。遣っているから疑問が湧く、この感覚を大事にしたいと思います。【●】

  3. コメント

    人と比較したり、自分の中にある「こうあらねばならない」に縛られている時は、相手にも自分にも刀を突き付けた状態になっているのだということを実感することが出来ました。相手によって素直さが変わるようでは、所詮いまの思いやりや優しさは自分都合のそれであり、本物には程遠いのだと感じます。軸足を変えるという挑戦を生き方から取り組んでいきたいと思います。

  4. コメント

    相手を変えよう、分からせようという思いや、相手と自分の価値観の違いを自分の価値観にあわせようという感情が自分の中に沢山あることに気づきます。ただただ、有難いのは「ミマモリング=心を寄せること」という言葉です。まだ出来る自分にはなっていません。それでも、毎日振り返り、立ち戻ることで「良い」「悪い」ではなく、「心を使わせてくれる有難い機会」なのだと感じるチャンスを頂いています。行動に表せていないところばかりですが、自分に打ち克ち行動に変えて、心のままに素直に生きていきたいと思います。

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