虫の目~いのちの原点~

ファーブル昆虫記というものがあります。これはフランスのジャン・アンリ・ファーブル<1823-1915>の代表作であり、世界各国で翻訳されているものです。

虫の観察をするだけではなく、その虫の心に入り込んで虫の気持ちになって豊かな文章で紹介する昆虫記は私たちにいのちの価値について深く考えさせられるものがあります。

「全ての生き物は平等であり、それぞれの役割がある」という信念のもと、世間では見向きもしないような虫の生態を30年以上観察して新たな発見を次々に記した実践には感動するものばかりです。

よく考えてみると、どんな小さな虫であっても親兄弟や家族がいます。産まれてきているということはそこに親がいて子がいて他の生き物を食べて土に帰ります。人間とまったく同じようにそこにはいのちのめぐりと暮らしが存在します。

そしてそのいのちは、厳しい自然の中で深く慈しみ、必死でいのちを育んでいきます。ファーブル昆虫記の中にも、フンコロガシが大切に子育てをしている様子や、他の虫たちがそれぞれにいのちをかけて子孫を残し家族を守る様子などが書かれています。

人間だけが偉そうにして見えなくなったものをファーブルは同じ生き物(いのち)の目線で謙虚に暖かく観ているのです。それに気づけないのは自分都合を優先し虫を虫けらと思い、人間が最上で虫は下等であるという考え方の中に人間の傲慢さが潜んでいるように思います。

ファーブルの虫から学ぶ姿勢の中に、同じ地球の生き物として尊重があります。

同じ生き物としての自分を再認識しつつ、そのいのちが自然に活かされていることを虫の目をとおして思い出し、虫たちの生き方を通していのちの原点に気づき、本来の謙虚さを学び直していきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    目の付け所が違う、それは不思議で面白くそれでいて深く考えさせられるものがあります。大人になった今よりも子どもの時の方が虫に興味関心があったのは、単に背が小さく目線が近いからではなく、いのちに対して純粋だからなのかもしれません。この時期カブトムシに熱狂する子どもたちの姿を見ると、自分だけでなく皆通過する時期であり夏休み、山へ取りに出掛けたそんな体験も今となっては懐かしい思い出です。自分自身を振り返る生き方、大事にしたいと思います。

  2. コメント

    「優越感」も「劣等感」も、「比較」の結果に優劣をつけ、それを価値判断することによって生じます。「言い訳」もそこから生まれ、結局は、「苦しみ」になって、本来の「いのち」を弱めてしまっています。人間同士の比較優劣が、いつの間にか、あらゆるものとの比較優劣にすり替わってしまったのかもしれません。「それが、どうして、そんなに偉いの?!」と自問しながら、「原点」へ「原点」へと戻ってみたいと思います。

  3. コメント

    自覚は無かったとしても、自分にとって都合の良いものはよく、都合の悪いものはわるいという観方を知らずのうちにしている時があるのかもしれません。そういう観方をしているうちは、いつでもその善し悪しが逆転してしまうという危うさを持っているように思います。何が基準になっているか、どのような時でもそれが揺るがない所で、ものが観れるようになっていきたいと思います。

  4. コメント

    自分の感情が嫌がるものは避けるのは反応として当たり前なのかもしれません。しかし、その感情が生まれるのは自分の価値観、考え方次第なのだと感じました。虫たちの様に自然のように、わけない事を第一に考えて行きたいと思います。

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