特別という勘違い

人はできる人を目指す人と、御役に立てる人を目指すのではまったくその姿勢が異なるものです。前者は自分が如何に特別な人間であるかに固執しますが、後者はできない中でもお役に立てることに精進しようとします。

自分の感情を満たすための努力というものは、自利が入ります。しかし周りのためにと自分を役立てていこうとする人は利他に入ります。そもそもなんでできる人になろうとしたかの動機が間違えば、その結果もまた相応なことが起きてしまいます。大事なことは何に憧れているかということが重要なのかもしれません。

私はかつては能力が高くて有名な人が特別な人だと信じていたことがあります。しかしある時から、特別な人だからすごいのではなくみんな人は誰でも普通なのだと気付き、誰でも生き方を貫いている人がすごいと思えるようになりました。

自分の信じた生き方を貫いている人は、たとえ肩書や立場がなくても尊敬できます。それは自分がやってみて気づけるからです。自分の信念に生きる人というのは、自分自身とのたたかいに打ち克っている人であり、自分の心と正対し初心を優先しているから尊敬するのです。

よく人を上下に分ける人がいますが、これは自分を特別視するから分けるのです。別に自分がどう思われようともいい、自分が人間の一人であって特別ではないのだと自覚すれば自分が何かに役立てるように精進しようと前向きになれるように思います。自分をあまりにも愛して特別視すると、考え方が常にネガティブになります。自分を守ろうとすると自分の心配ばかりに終始して役に立てる仕合わせを忘れてしまうものです。

大事なことは「自分が特別な存在なのではなく、御蔭様と御縁が特別なのだ」と感謝することではないかと思います。自分が生きていられるのは自然の御蔭様です。この御蔭様は奇跡の御縁で結ばれています。

人間は自分たちを特別視することで神様にでもなったようにすぐに傲慢になります。全知全能などというできる人の刷り込みは、今の世の中の縮図を表します。そういう価値観に縛られるのは感謝の実践が足りないからかもしれません。自分が如何に何ものかに活かされて今があるか、自分が如何に御蔭様に見守られているかを思えば、自然に自分が不完全でも誰かの役立てる仕合わせに感謝できるものです。

謙虚さに気づくのは素直の入口です。他人の話を聴くには、全知全能のできる人を目指し特別な存在であろうとするよりも、自分を含め誰もが特別な存在だと気づくことです。

そしてもしも自分が特別だと信じることでモチベーションを維持するのなら、自分は志があるのだから俗世に流されてはいけない、普通ではいけないと自戒し精進することのように思います。

子どもたちがわたしたちの跡を続いていきますから、自分がこの世に生を受けた御縁までも私物化しないように自分という存在を勘違いしないように精進していきたいと思います。

  1. コメント

    人は、すぐに「減点法」で判断、評価してしまいます。常に、「理想を100点満点」とし、「何が足りないか?何点足りないか?」と考えてしまいます。どこかに「完成した人間像」があって、そこに至らない人を、未熟者ととらえています。したがって、人よりも優れていることが優越感になるのでしょう。「特別な存在」というのは優越感の一種であり、慢心です。気をつけたいと思います。

  2. コメント

    謙虚であるかどうかを振り返る時には、頭で考えても中々分からないというか、、頭では上手に謙虚風な解釈をしてしまいます。なので、出来ることとしてやっているのが、1日のフラッシュバックです。謙虚かどうかは、自分の発した言葉、動作を振り返れば事実が教えてくださいます。人との会話で、いいえ、いやいや、違います、と言う言葉を使っていないか。朝からの機嫌はどうか。おはようございますと、自分から言えているか。ありがとうございますときちんと言えているか。人の話を聞く時に目を輝かせて聴いているか。そう振り返るだけで、たくさんの不誠実さに毎日気付く事ができますが、分かることと、出来ることとは違い、、、まずは今日、今から何を実践しようと、一歩ずつ積み上げていくことなのだと今は受け取らせて頂いています。

  3. コメント

    自信がついてくると変な驕りが出てくるような気がして、最も気をつけたいことです。それは以前、裁く心があると指摘され自覚するようになったからです。それぞれの持ち味と思うと、それぞれに尊敬するところがあります。自信と傲慢さ、まだまだ変な方に目が転びやすいですが、自戒し進んでいきたいと思います。

  4. コメント

    「御蔭様と御縁が特別」という言葉が胸に響きました。一枚の紙を見て雲との繋がりを感じられるか?そんな御蔭様の世界が観えたら今の様にはとても生きられず、またそれが観えていれば些細なことと思えそうなことも、きっと誰かのお役に立つという確信をもって行えるように思います。来たものを選ぼうとするのも自分が特別という意識があるからなのかもしれません。何でも有難く受け取り、させていただける自分になっていきたいと思います。

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