深さとは何か~直感~

物事には深さがあり、深さを持つ人はその深さを人に伝えていけることができるように思います。同じ話をしても、自ら刻苦勉励し体験を通して苦心しつつも掴んだ人の話は同じ言葉を並べても伝わり方が異なるものです。知識と体験との違いは、知識によっていくら文字を並べてもそれは単なる文字遊びにしかならず体験によって得た智慧や知識により文字が並ぶとそれは実行するためのヒントになります。

昨日、かねてから尊敬していた森のイスキアの佐藤初女さんがお亡くなりになりました。講演で一度だけお話をお聴きしたことがありますが、その時の御話もまた深さがありました。子どもがお菓子ばかりを食べて困っているという質問には、「ご飯を美味しく作ればいいのです。」とただシンプルに回答するのですがその言葉の間には真心を籠めて子どもを育てることや、食に命を懸けて取り組むことの大事さなど言葉の背景に膨大な暗黙智慧が語られている深さがありました。

この方もまた日本古来の大道をこの世に受け継ぎ、次代へ繋ぎ紡いだ有り難い道徳人でした。魂や大義は失われず、人々の心の中に生き続けて実践によって伝承されていくと思います。瑞々しい透明な心を通じて出会った有り難いご縁をいつまでも心に刻み忘れません、ご冥福を心からお祈りしています。

話を戻せばこの深さというのは、その人の体験によって深まっていきます。深さを持てる人とというのは常に理想を求めて一生懸命に苦労を厭わずに努力精進していくことで深まっていくように思います。深さの中には、つまり理想までの距離のようなものがあるのかもしれません。自分の目的や志の高さに対して今の現実があり、その間が深さになっていくように私は思います。

深さを持てる人になるためには、まず理想を定めて自ら覚悟決心する必要がある様に思います。そして自問自答し、本質は何かを求め続ける胆力や道を歩み続けて内省し続ける継続力も必要です。

求めている理想が大きければ大きいほど、世のため人のための祈りが広ければ広いほどその深さはますます奥深く深淵な深さになります。またその深さは五感や全感覚を通して感じるもので、到達している深さは観えないほどですから互いの直感でしか感得しえません。西洋ではそれをシンクロニシティともいいますが、本当の深さを求めている人はいつもご縁によって導かれるように思います。ご縁の世界に生きる人々は深さを持ちます、そしてその深さは直感と導きと道中の閃きによって開拓されていくのでしょう。

日々に何を最も優先するのかを忘れずに、自分の持ち場を掘り下げて道を歩む人たちに恥じない背中をみせられるように文字遊びを戒め深く精進していきたいと思います。

 

  1. コメント

    ここ最近、毎日のようにハッとさせられることばかりです。気づきは有難いことでありますが、同時に自分自信を知ります。若さは武器、若いから何でも挑戦できる、この言葉をもう一度考えると今一度理想を高く定めるところからはじまるのだと感じます。いろいろな方にお会いし頂いているご縁、そこで学んだことを恩返ししていけるよう精進していきたいと思います。

  2. コメント

    理想を求めて覚悟を決めた人は、生き方が違います。変えるべき「現実」が自分自身であることを知っていて、日々刻々戦っています。その真剣さが、あらゆる経験を、貴重な「体験」に変えていくのでしょう。言葉の「深さ」は、そういった背景にある「真剣さ」が言霊となって、聞き手に伝わるのではないでしょうか。自分の言葉の重みを感じながら実践を積み重ねたいと思います。

  3. コメント

    真剣に話を聴こうとするほど理解することに意識がいきますが、理解はただの理解でしかなく、今必要としているのは感じ取る方なのだと思います。「ちょっかん」ときいて「直観」の字を思い浮かべていましたが、全てに何かがありそれを見逃さないという「直感」の方の姿勢はあまり意識していなかったように思えます。相手の深さを感じられるよう、自身を深めていきたいと思います。

  4. コメント

    自分の能力や価値観を証明する為に生きていては深さは一向に深まらないことを実感しています。
    軸足が自分にあるうちは、深まるのは自己満足と他者評価なのだと実感します。正しいかどうかも、役立つかどうかも、寄り添えているかどうかも、自分が決めることではなく世間様、お天道様が決めることのように感じます。何を深めているのか、間違えないように日々軸足を良く見つめたいと思います。

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