聴福庵の初心

私たち日本人は和風の空間の中に入ると心が和み落ち着くものです。これはもともと私たちが懐かしいと感じる心から来るものです。私たちが心で感じるものは、全てかつて体験したものです。心にそれがあるからこそ、その心が感応してそれが出てくるのです。

この和風の空間というのは、私たちの暮らしの空間のことです。心が落ち着くということは居心地がいいということです。そして居心地がいいというのは、一緒にいたい存在ということです。それだけ永く共に暮らしてきた家族家庭があることを人は「懐かしい」と思うからです。

例えば、和風の空間には様々な家具や道具たちがいます。外からは採光が差し込み現れる薄い陰、縁側から穏かに流れてくる涼しげな風の音、また水や木の薫り、炭の温もりや静かなけむり、それらはすべて懐かしいと感じるものです。

私たちが懐かしいと感じるものは、かつて永い間生活を共にして助け合い認め合い尊重し合った大切な仲間たちでした。自然界では、自分たちが生活を共にする仲間たちとともに文化を形成します。畑で作物一つ育ててみても分かりますが、何かを育てればそれに近しい親類たちが自然に集まってきます。虫なども同じで、自然に親戚が集まってくるのです。

家族というものの定義が何か、親戚たちが集まり仲よく暮らしていく中で自ずから仲間が共に暮らしはじめていく。ここに本来の家族の意味があるように私は思うのです。

今の時代、かつて悠久の歴史を共に生きてきた仲間を思いやらず人間のみ中心の世界を築くことで次第に仲間が減っていき孤立してきています。仲間に対する扱いもただの食べ物として扱い、ただの置き物として扱い、価値がないものとして粗末にしています。大量生産大量消費そのものが、いのちを単なる「物」としてのみ扱い、本来のもののあわれといった心がある存在として感じられなくなってきています。

昔の仲間たちが傍にいる安心感というのは、格別なものでそれによって心は深く和み癒されていきます。今は本来の社会が失われ孤立で苦しみ病み悲しんでいる人たちがたくさん増えてきました。その空間には果たして仲間たちが親しみ合い結び合う「もったいない」という御縁の繋がりといのちの鼓動がいつも聴こえてくる環境なのでしょうか。

私が今、実践し弘げようとしている聴福というのはそのいのちの声を聴くことです。それは仲間であることを思い出させることです。本来、人間も自然の一部、仲間そのものです。そこから離れすぎてしまえば我儘で傲慢さゆえに孤立が深まっていきます。確かに自分の思い通りの道具を仲間と呼ぶ人もいますが、本来の仲間とは自分が扱うように扱われるものです。尊重し認めていないものを果たして仲間と呼ぶのか、そして果たしてどのような親戚が集まってくるのかと私は疑問に思います。仲間と共に暮らす物語を一家として志すことが親祖から連綿と続いてきたいのちの文化を子孫へ譲り渡していくことです。

和風の空間の本質は、仲間と共に暮らす場ということです。

改めて聴福庵の初心との御縁がどのように変化成長していくのか、大義を忘れずに真心を盡していきたいと思います。

  1. コメント

    母の実家へ行くこと小さい頃の記憶も混ざってか懐かしさと田舎の環境も相まって居心地の良さがあり、自宅の居心地の良さとはまた一味違う感覚に、記憶が覚えているのだと感じます。まだ見ぬ聴福庵に楽しみを感じると同時に決して大義を忘れてはならないのだと身が引き締まる思いです。

  2. コメント

    日本家屋は、もともとひとつの大広間です。それを、襖や障子で仕切ってあるだけで、基本的に壁はありません。いつでも親戚中が集まれるように設計されています。また、縁側は、窓ではなく戸で仕切られ、これも取り外せば、庭や外の世界とも開放的に繋がっています。しかし、最近は、モノが増え過ぎてせっかくの「間」が潰されてしまっているようです。この「間」を壊すモノを片付けてみようと思います。

  3. コメント

    「聴福庵」という言葉を目にして、その名前に全てが詰まっていることを感じました。昔、小学校の国語の教科書に「懐かしい」と「恋しい」の違いについて外国人が問うていた物語りがありましたが、今思えば、長い歴史を持つ私たち日本人は懐かしいという感覚を感じやすい民族なのかもしれません。連休中に行く予定の武相荘でも、その場にあるものたちが発する声を少しでも聴いてみたいと思います。

  4. コメント

    丁度今、妻の実家に帰ってきています。今年は特に、妻の実家にも色々とあったこともあり、家族、親族で過ごす時間の意味を味わっています。農作業だけに限らず、今年は食事も一緒に作ったり、おもてなしたり、子どもたちと作ったお味噌をお土産で持って行ったりと今まで以上に沢山の関わりがあることに気づきます。それこそ、心が落ち着いたり和らぐのは、この時間を自分の為に使うのではなく、誰かの為に使うことの喜びを感じられているからではないかという実感があります。「得」と「徳」の違いを体で体現しながら学べる環境を大切に味わっていきたいと思います。

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