歴史伝承の仕組み~神楽~

昨日、郷里の撃鼓神社の春大祭で撃鼓神楽を拝見する機会がありました。この撃鼓神社は聴福庵のある飯塚市幸袋の総鎮守であり、天太玉尊、天児屋根命、細女命の三柱の祭神とし天の岩戸の前で占ったり祝詞をあげたり踊ったりしていた神々が祀られています。

神楽も多数の演目があり、それを宮司をはじめ氏子の方々で伝承されておられました。古い伝えによると、上宮は白旗山中腹にあり下宮が山裾にあって、古くは上宮を鼓打権現、下宮を笛吹権現とよんでいたそうです。この両権現は神功皇后が三韓出兵の際の神楽奉納で、囃子の太鼓、笛を指導した神様だとも言います。

神楽は笛と太鼓の独特なリズムの中で、神職の衣装を着た方々が舞いを奉納していきます。その舞の姿や祝詞も、古代から確かな意味があり継承されているもので感覚的に魂に訴えかけてくるものもあります。

その地域の人々がこの風土で何が起きてきたか、そしてこの風土の中にどのような歴史があったのか、それを唄と踊りによって継承しているものです。どんなに石に文字を刻んでも1000年も持たずに風化してしまうというのに、この神楽は毎年続けることで1000年以上の年月を継承していきます。ここに風化させない仕組みを感じて、先祖の偉大な智慧を実感します。

今では文字が発達し、情報社会ですからデータで保存するのが当たり前です。しかしどんなに優れたハードディスクや紙があってもその情報をそのままに伝承することはできません。時代と共に文字も変われば言葉も変わり、そして価値観も人間も変わるからです。

しかしこの神楽の伝承は、そういうものが変わっても変わらずにその意味の解釈や伝統の継承が行われていきます。歴史を絶やさないという強い意思がここから感じられ、先祖代々が何を大切にしてきたか、何を誇りにしてきたかを感じて魂が揺さぶられます。

民俗の歴史や地域、その担い手により紡がれてきた伝承は洗練された芸能を産みます。日本古来からの固有の文化に触れるのは、親祖の生き方、考え方を学ぶことです。

伝統芸能を通してどのようなはじまりで今の私たちがあるのか、今の私たちまでつながっている文化はどのような発展を遂げてきたのか、その歴史に向き合うことができます。言葉をほとんど用いずに、洗練された踊りや音楽によって理解する伝統の片鱗に触れた気がします。

引き続き、芸能の本質を深めて子どもたちに伝道していきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    伝言ゲームをすると途中からまるで別の話になることがあります。ただ、1000年という口伝は単に言葉だけではなく、その想いも伝承した証のように感じます。今だったら動画で撮っておけば、後世の人もどう舞えばいいか観れると思いますが、そういうことでは決してないのだと思います。いつか神楽も実際に観てみたいと思います。

  2. コメント

    「伝承」により、ずっと「元のかたち」がそのまま伝わるというのはすごい知恵です。歌舞伎や能、狂言、あるいは、落語の世界でも、「マニュアル」を通してではなく、「人から人へ直伝」が守られています。但し、それを引き継ぐ人が居ての話です。その「神聖さ」や「空気感」は、直に教わった人しかわかりません。「伝える」ということの本質は、そこにあるのではないでしょうか。

  3. コメント

    毎年の行事として伝承できるために、どんなことを日頃の習慣とされているのだろうと思います。年に一度のこととなると、日頃忘れていて、行事が形骸化してしまったりとあります。社内の取り組みも暑中見舞いやクリスマスカードなど、終わってからの振り返りが無いと維持が難しく感じています。振り返りの習慣がやはり守ってくれているような実感を持ちます。振り返り、改善し、初心から働ける有り難さを忘れずに居たいと思います。

  4. コメント

    踊りや音楽での伝承というのは、頭ではなく五感、知識ではなく感覚で伝えていくという感じがします。文字や言葉では伝えきれないものがそもそもあるのだということも昨年のアイヌの体験などからも感じられます。暮らしもそうですが、五感から受け取り繋いでいくものを大切にしていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です