来るであろう未来

文化の変遷を深めていると、江戸時代鎖国が解かれ明治維新後の文明開化が如何に急速であったかがわかります。暦の改変をはじめ、生活スタイルはほとんど西洋のものを手本に換えてしまいました。四民平等という思想のもと、それまであった封建的なものを否定し、国民と国家という概念ができたといいます。その後、2回の大戦を経て戦後の復興、様々な歴史の歪が今の生活のあらゆるところに出てきています。

いままで歴史というものはやってみて後世の人たちが冷静に物事の経過を見定め判断し、それを改善していくことで文化を融和させていくように思います。誰かが先に決めたこともただ鵜呑みにするのではなく、よく精査するのもまた子孫の責任と使命であろうと私は思います。

今の時代は生活スタイルはほとんど伝統的な文化のものはなく、西洋文化の中にあるかのように日常を過ごしています。着る服から食べるもの、住居や仕事、制度や法律まであらゆるものがアメリカや西洋をモデルに創りこまれています。それを改めて気づくことがないくらい当たり前に西洋文化の中で過ごしているとも言えます。

私たちは環境を通して生活スタイルを変えますから、いかに環境が与えている影響が大きいかということを思います。その環境そのものを西洋にすれば、生活スタイルは自ずから西洋になります。本来は、気候風土に沿って時間をかけて醸成されてきた生活スタイルが、都市化とともに急速に便利になり科学の力でより一層、その土地の多様な風土を征服し人間の都合のよい生活スタイルに合わせてきたとも言えます。

そのことに慣れてしまえば、もはや風土や文化というものは過去の古いものになり新しいものとは都市化され都会化したものが新しいということになります。日本古来からの生活文化を否定し、西洋から渡来した生活文化を新しいと崇拝するという傾向は戦後一層強くなり今の私たちの暮らしを換えてしまいました。

しかし本来そこに自然にあった生活文化はとても合理的であり、無駄がなく無理もなく自然に沿ったものが暮らしとして存在してあったものです。そこに外来のものを入れて維持しようとすると無駄も無理も発生し不自然を維持するために大量のエネルギーと資金を投下していかなければ保持することができません。

それは今の公共事業でもいえますが、地方を維持するのにもうエネルギーも費用も枯渇してきているのです。最近では田舎の人たちを一極集中にして狭い地域に集中するような政策もあっていますが、これもまた田舎を都市化しようとするものに似ています。しかしそれもまた膨大な無理や無駄があり、頓挫していくのは火を見るよりも明らかです。

時代の流れの転換期というものは、気づいた人から変わっていくのがいいようにも思います。人は自分の都合で新旧を決めたり、良し悪しを思い込みますし、それまでの刷り込みがあれば最初からできないと思い込んでしまうものです。だからこそ生活文化というものを見つめ直すことが難しいとも言えます。

本来の自然に沿った暮らしとは、人類が持続可能で永続する生活の智慧です。人類が今、岐路に立たされているのはこのエネルギーと貨幣の膨大な投資をどこで転換してバランスを取り戻すかということです。

引き続き、暮らしの甦生を通して来るであろう未来に向けて準備を着々と進めていきたいと思います。

  1. コメント

    昔の日本人は、儒教や仏教、あるいは漢字や建築法など、いろいろなものを外国から取り入れましたが、そのまま入れるようなことはせず、必ず、日本人の生き方に適した形で導入してきました。それが、明治以降はそのまま入れ替えるような入れ方をしたために、日本人の暮らしが消え、生き方まで入れ替えてしまいました。単なる「昔返り」は必要ありませんが、今一度、日本人としての生き方を思い出し、日本人としての違和感を排して、借りもの文化を見直す必要があるでしょう。

  2. コメント

    観光地となっているような宿場町や古民家が集まっている集落の写真やTVなどを観ると「いいな」とこれまでも思うものがありました。自分自身の生まれ育った環境と異なっても、それを見ていいと感じる感性は、聴福庵を訪れた子どもが「懐かしい」と言った感覚に近いものがあるのかもしれません。少しずつ時代が変わってきていると思うと、今できることを精一杯尽くしていきたいと感じます。

  3. コメント

    暮らしといっても、何とともに暮らすのかと言うことが、大切なのだと感じます。長い目を持てば、暮らしは地球あってのこと。地球とともに暮らすのは前提ですが、そこを見ずに自分だけの暮らしを考えてしまう風潮があるように感じます。自分のことを守るのではなく、みんなを守る気持ちがやはり大切なのだと感じます。友人からの昨日の相談も神社に対する考えが変わった!と喜び感謝してくれました。ありがとうございます。

  4. コメント

    先日の社内木鶏の記事の中に「再誕」という言葉がありましたが、生れ落ちたこの現実の世界には古来から受け継がれているもの、消えかけているもの、外来のものなど様々なものがあり、それは受動的に関係を結んでいるものとも言えますが、改めてその一つひとつが何なのか、どのような意味があるのかを定めていく必要があるのだと感じます。何がいいわるいではなく、その意味を掴んだ上で取り入れていくことを大事にしていきたいと思います。

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