富苦労の恩返し

昨日、私の人生の価値観に大きな影響を与えてくださった大恩人の夫婦に聴福庵に来ていただくことができました。約2年半前にご縁をいただいてからここまでこの方々の言葉を信じて、そして生き方を尊敬し自分も学び直そうとここまで取り組んでくることができました。

人は、できるかできないか、成功するか失敗するか、いろいろな選択肢があるなかで「信じるか信じないか」という物差しがあります。私はこの「信じる」ということだけを大切にここまで生きてきました。

思い返せば、今、人生でご一緒している大恩人や道の達人たち同志仲間を信じたから夢を体験することができています。もしも疑ったり信じなかったりしたらどうなったでしょうか。当然、今の自分はありませんし周りもご縁もありません。御縁を活かすというのは、「信じる」ことです。そしてそれは信仰心にも似た純粋なものであり、真心の生き方のことでもあります。

出会いが素晴らしいのは、信じあう世界を築いていくことができるからです。一期一会に出会ったご縁によって、その人を信じることによって新たな世界が拓けていく。その人生のご縁を大切にする人はみんな信じ切ってきた人たちかもしれません。

その信じる気持ちが疑いになったとき、信じることができなくなったとき、そこで諦めてしまえば真実は隠れてしまいます。真実に生きるというのは、「信じるに生きる」ということなのでしょう。

その当時はまったく何もわからなくても、振り返ればその「信」の御蔭様で私の周囲の人たちも心豊かに暮らしを学びはじめ、そして子どもたちにも伝承できる永遠の智慧をたくさんいただいています。

信じるというのは、自分を信じるということです。それは言い換えるのなら、その人の信じるものを自分も信じる、そして信じる自分を丸ごと信じたということです。自分を信じ切るということこそが信念の本質なのでしょう。

直観や信念は、常に出会いを大切にする中にこそあります。

大恩人たちへの信じた証をお伝えできる今があるのは、苦しいときにも諦めずに自分が信じてこれたことの富苦労の恩返しです。一緒に道を拓いてきた恩師の古希祝いも明々後日にあり、信じてきた自分を心から誇らしく思います。

人生の出会いとその感謝を片時も忘れずに、一期一会のご縁を結ぶ仕合せに生きていこうと思います。

  1. コメント

    先に生まれ、何十年と実践を続けて来られている姿を見て、自分もあんな風になりたいや、これでいいのだと感じられることに大きな影響を受けていることを感じます。目の前の試行錯誤もすぐ結果は出ずとも、いつか誰かの役に立つと思えば、この今という時を無駄に過ごすことはできません。目の前の一つひとつに力を尽くしていきたいと思います。

  2. コメント

    「ものによって」あるいは「相手によって」信じたり信じなかったりするのは、「信じる」ことの本質ではないでしょう。また「99%信じる」というのも「信じる」ことではありません。「自分に誠実である」のと同じように、「自分を信じて」「そういう自分を信じて」生きたいものです。

  3. コメント

    相手の期待に応えるのではなく、自分で自分に期待して、自分で自分の期待に応えていく生き方のように、信じるというものも相手によらず条件にも左右されない絶対的なもののように思えます。現実は見方によって変わってくるように感じるからこそ、自分の中にある信じる心を日々に高めていきたいと思います。

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