闘争心と挑戦者

建築家に安藤忠雄さんがいます。以前、社内木鶏の「致知」に掲載されていたとき、闘争心のある凄まじい挑戦者だなという印象を受けたことを覚えています。あらゆる病気を持ちながら、それを味わいながらいけるところまで前進し続けるという生き方に感銘を受けました。

人間はどのような仕事を選択したにせよ、どのような生き方をするかはその人その人の日々の判断が決めていきます。その生き方が、まさに作品になりそれが観える形として世の中に表出してくることでその人の人生に影響を受ける人々が出てきます。

まさに建築とは、生き方が顕現したものでありどのようなものを建てるかはその人の生き様如何で決まるのです。私もここ数年で建築に携わっていますがその時代の価値観や、ルール、そのほか様々な制限の中で本物を出していくことはとても難しいと実感します。世の中に責任をとりたくないという無難な価値観が走っている時代だからこそ、敢えて挑戦するという生き方が人々に勇気を与えます。

そういう意味で安藤忠雄さんは、日本人の建築家としての生き方を世界に表現している模範の一つです。言葉の中に出てくる、生き方をいくつか紹介します。

「人間にとって本当に幸せは光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えてそれに向かって懸命に走っている無我夢中の時間の中にこそ人生の充実があると思う。」

「失敗を恐れず前を向いて進んでください。足元ばかり見ていても成功はありません。胸を張って未来を見据え心を世界に開くことが大切です。」

ある記事ではこんなことも言っています。

「窓の外の「ビジネススーツ・ビル」(建築史家・鈴木博之氏が東京の高層ビルを一瞥して評した「代わり映えがしない」を意味する言葉)を見てもわかる通り、今は誰も責任を取りたくない時代です。責任を取りたくないから建築も無難になる。政治家も経営者もビジネスマンもそうでしょう。しかし「無難」に人が惹き付けられますか? リスクがあっても夢やビジョンがあるから、人が集まって新しいアイデアができると思います。」

責任をとりたがらない人たちこそ「無難」を目標にします。しかし自分の人生の責任は自分で取るしかありません。金太郎飴のような同じ顔をしていれば安心という生き方の中には挑戦はありません。大切なのは、自分の責任は自分で取る、そして世界や時代の責任も自分で取るといった志を持って歩んでいく人生を味わっていくことではないかと私も感じます。さらにこうも言います。

「どんな仕事でも最も大切だと思うのは今に安心しないことです。今のままではいいと思わないけれどまあ仕方ないかと現状に甘んじてしまったら絶対に成長していきません。」

「中途半端にやってもダメ。必死に全力疾走で勉強する。自分を追い込んでいかないと本物の力にはならないと思う。」

「無我夢中で仕事をしていれば不平不満など出てくるものではない。」

「人生というのは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って自分の目指すこと信じることを貫き通せばいい。」

仕事観は、それぞれが自分で磨くものです。純粋な心でそぎ落とされて美しく強く輝く安藤忠雄さんの生き方は今の時代の若い人に勇気を与えるはずです。

最後に、まだお会いしたことはありませんが言葉や文章から感じる安藤忠雄さんのイメージをそのまま現わしている言葉ではないかと感じます。

「闘争心。結局はこれで勝負が決まる。」

わくわくするような挑戦を続けて、いつかは頂に昇ろうとする自己研鑽の歓びを楽しんでいるのかもしれません。初心を忘れずに、自分の道を切り拓いていきたいと思います。

  1. コメント

    安藤忠雄さんをみると、確かに「常に闘っている」というイメージがあります。しかし、それは「闘い」というよりは「挑戦」という感じです。相手は、他人でも時代でもなく、「人間の可能性」なのではないでしょうか。だから「無難では意味がない」のでしょう。「無難」に逃げそうなときは、「何と闘っているか?!」を明確にする必要があるようです。

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