覚醒

人間は自分の頭で考えて物事を主体的に自分から取り組んでいくことができれば他人のせいにすることはありません。言い換えれば、他人のせいにする生き方というのは自分自身が常識を鵜呑みにして思考停止している状態であり、自分の頭で本質や意味を深堀りすることをやめてしまっているともいえます。

自分で考えるというのは、本当は何かということを深めていくということです。誰かが出した答えに従ったり、大勢いの人たちが語る価値観を常識と信じて、当たり前であることに慣れてしまい本質を学ぶことをやめてしまうと自分で考えることができなくなるのです。

主体性という言葉は、単に自分からやっていれば主体性というわけではありません。世の中の常識を疑い、当たり前を毀し、自分の頭ですべてを自分の責任として捉えることができたとき主体は自分になります。

人生というものは、その他大勢の中の一つではなく自分に与えられた大切なものです。その人生を味わい盡す人は、何のために自分が産まれ、何の役割を持ち、何に活かすかということを求めては学を志していくものです。

つまり学とは何か、それは自己というものを確立することとも言えます。自分というものがどのようなものか、自分をどう磨いて自分自身になっていくか。それは他人のせいにしている人生を生きていたら磨く機会も失われてしまいます。

日々に様々な出来事と出会い、私たちはその都度、何のためにということに気づき、どうあるかということを問いていくことができます。そうして日々に自分の頭で今発生していることを内省し深めていけば己の為すべきことが観えてきます。

現在の世間一般の勉強はどこかそういう自己確立とは関係のないところで知識ばかり、正解ばかりを刷り込まれているように思います。自立は自己確立ですから、自分自身が人生の主人公にならない限り、自律することもなく、そして協力し合うこともないように思います。

現在、そういうことから個人主義が歪み、協力ができない組織も増えてきています。まずは他人のせいにするのをやめ、自分で自分の人生を深めることを決め、日々に初心を忘れずに自己研鑽をしなければあっという間に主人公であることをやめてしまうことを気づく必要があります。

「目覚め」というのは、英語ではAwakeningともいいます。「目覚める」というのは、それまでぼやけていたもの、昏睡から覚醒するということです。いつまでも刷り込みや洗脳で自分で考えるのをやめていたらあっという間に死を迎える時機がきます。

だからこそ、自分の頭で考える習慣を持つために誰かのせいにするのをやめる自分を決めることから学び直すことだと私は思います。今回開校する「BA」のAは、この「Awakening」の頭文字をとったものです。

永い眠りから覚めて、人類の創始理念や初心を思い出せる人が増えていくように新しい場道を拓いてみたいと思います。

 

  1. コメント

    たいていの人は「自分の頭で考えている」と思っていますが、その「考え方」自体がすでに歪んでいるということに気づく必要があります。人には、それぞれ「自分のものの見方、考え方」があり、「自分の論理、自分なりの理屈」を持っています。その「論理」を使う限り、導き出される結論はいつも同じでしょう。「自分が恐がっているもの」「責任回避したいこと」そして「よく使う言い訳」、この辺りを根本的に見直し、真の人生に目覚める必要があるのではないでしょうか。

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