心考実行

何かの物事が起きるとき、それをどれだけ深く考え切ることができるかがある。

一見、何も意味がないように感じる事でも心で湧き出てくることを大切にしていたら長い時間のあとに大変な意味が出てくることがある。または、その逆もあり後になってやっておけばよかったと反省するようなこともある。

何かの物事は自分で考えている以上に、将来に必然的な意味があり目先に一喜一憂するようではまだ物事に集中しているとは言わないのだと思います。

よく脳が嫌がってもと言い方をすることがあるのですが、自分の脳が避けようとしても心に浮かんで感じたことを信じる力というのはどれだけ日頃から決心する習慣を持っているかということになるのだと思います。

この決心とは、頭で考えずに心で決めることを言うのだと思います。
そしてそれは頭では判断できなくても、心が望むのだから遣るのだという意志です。
そしてそれこそが自分が遣るのだと強く思うことであろうとも思います。

他人はすぐに目先に行為に対して見返りを求めるのは信じるよりも本当にメリットがあるかどうかなどを疑ってしまうからであろうとも思います。

しかしそもそもそれは生き方という心が決めた方が人生の舵取りをしているのだからこそ、如何によい理念、理想、信念といった盤石な根がなければ信じる方を決心している方を優先することができなくなるのだと思います。

頭で考えないためには、丹誠を籠めた日々の丁寧な真心の実行の積み重ねが必要になります。なぜなら、それが心で決めた方を継続するとも言えるからです。

目には観えないものを大事にするには、心で実行しながら考えるということの積み上げてあるのだと思います。繊細な配慮ができつつ思いやることなど大切にしていきたいと思います。

  1. コメント

    カグヤでの3年を迎える2年後について思い描いていることがあります。思い描いていたことは前から考えていたことではありますが、カグヤでの1年をもうすぐ迎える中で前よりもイメージが膨らんでいます。心に浮かぶ遣りたいことは、自分を信じるために試していることでもあるのだと感じています。協力してくれる仲間もいてすぐに行動に移す事も出来ますが、2年後を設定している分自分自身に強く思い描き、心で臨むことを温めていきたいと考えています。

  2. コメント

    日々生活をする中で自分で決めた事を毎日行っていますが、心で決め心で望んでそれが行えているかと考えるとやはり出来ていない事が多くあります。頭でやらなければと思う事はあっても心でとはなっていのが事実です。もちろん遣り続ける事で気づきが深まってきている事もあります。まだまだ見えていませんが、動く事も大事ですが常に何の為にか?本当の意味は何かから考え続ける事の繰り返しが心に繋っていくように今は感じます。

  3. コメント

    心に従うことが如何に大切であるかと言うことに、気付きながらも実践し切れていないのが現状です。日々の本当に小さな実践に真心を込めなくてはと感じます。挨拶、片付け、食事の仕方。
    まずは、生活習慣を見直す一日にしたいと思います。

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