確乎不抜の志

いつも思うのだけれど、何かを遣り切るということは何にもまして大切なことであろうと思います。よく負け癖などといったものや、最初から何もせずに諦めてしまうというのは、途中で止めてしまうからだと思います。日々の継続というものも、なぜ初心を忘れるのか、なぜやめてしまうのかと思うのです。

他人から言われたから何かを遣るというのがあります、しかしそれは自分が決めたから遣ることになっているはずなのにそれを言い訳にしてしまえば逃げることを用意しながら進むということになるのです。

自分で決めないというのは確かに楽な方法です。
自分で決めたことでなければ、何かがあれば何かのせいにできるからです。

しかし自分で決めたのならば言い訳はできません。
そう考えると、やっぱりこう思うのです。

負け癖というのものの最も善くないこととは、途中で諦めるということに他ならない。
正確には負け癖ではなく、自分が遣り切ることをしなくなること。
つまりは、自分を信じる事ができなくなる癖であるのです。

人間は何かに取り組む時、強烈な意志の力で例えこの身が砕けようともといった徹頭徹尾、貫徹完遂するかは大事なところです。

その最初の思いが強ければ強いほど、発奮奮起し何が何でもという気概が生まれます。
そしてこれを確乎不抜の志とも言います。

それがない人では、決して何かを成し遂げることはできないのです。

易経に、「初九に曰く、潜龍用いることなかれとは、何のいいぞや。子曰く、龍徳ありて隠れたる者なり。世にかえず、名を成さず、世をのがれてうれうことなく、是とせられずしてうれうることなし。楽しむ時はすなわちこれを行ない、憂うる時はすなわちこれをさる。確乎としてそれ抜くべからざるは、潜龍なり」

とあります。

一体何が足りていないのか、答えは明白なのです。現実を正しく受け容れるたびに初心から省みて自らの志に浩然の気を纏い、至誠の檄を飛ばしていこうと思います。

  1. コメント

    「遣りきる」を「勝負する」や「引かない」と言い換えた社長の話を聞き、腹に落ちた感じがしました。同じ経験をする中で社長の言う「遣りきる」ということを感じていましたが、言葉上では私にとって「勝負する」ということの方がしっくりときました。
    今は力を蓄える時期であり来るべき時に立ち上がれるよう、自分を信じて決めたことを続けていきたいと思います。

  2. コメント

    何かを始めるという事の初心に対しての自分の心が継続してくると表れるのだと実感しています。どこか、他人事であったり逃げ道を探していたり、何の為であるかを理解せずに決めているのだと感じることが在りました。そこに気付いたので、改めて、自分で決め直すという事をしました。曇っていた部分を自分はどうしたいのかと考えて、取り除き、決めました。決めるという事の重みを心に刻んで日々を過ごしていきたいと思います。

  3. コメント

    自分で決めて続かないという事は、やはり自分の中の覚悟もそうですが、誰かから言われたからや誰かの為にやっている部分が往々にしてあるのではないかと思います。自分で決めて最後まで遣りぬいた時に感じれるものは、何とも言えないものだと今は働き感じます。遣り切った際に感じるものの積み重ねが更なる自信や主体的な行動につながるのだと感じます。

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