本物の経済人~世直しの仕組み~

二宮尊徳の弟子たちが残したものに二宮翁夜話があります。これは二宮尊徳の門弟、福住正兄が身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理して尊徳の言行を記した書のことです。

この夜話には、二宮尊徳の思想や具体的な行動が記録されています。その夜話231条の記録の中に「神儒仏正味一粒丸」という言葉があります。

「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり。ゆえに予は高尚を尊ばず卑近を厭わず、この三道の正味のみを取れり。正味とは人界に切用なるをいう。切用なるを取りて切用ならぬを捨てて、人界無上の教えを立つ、これを報徳教という。戯れに名付けて神儒仏正味一粒丸という。その効用の広大なることあえて数うべからず」

どのように世直しをしていくか、その善いところだけを合わせて団子のように丸めて薬にして人々に与えるという発想。この「正味」という字は、余分のものを取り除いた中身、本当の中身という意味です。二宮尊徳は、報徳という考え方はこの3つを合わせてできたということを暗に意味しています。

そしてこの報徳を実現することを報徳仕法を実践することとしました。

「農村の復興・改革という報徳仕法の実践面は、勤労、分度、積小為大、そして、推譲から成っていると考えられる。つまり、まず分度を立て、その分度を守りつつ勤勉に働く。最初は小さな成果しか得られないかもしれないが、それを継続し、積み重ねれば大きな成果が生まれる。成果が生まれたら、いたずらに浪費するのではなくそれを家族や子孫、他人や社会のために役立てる。一言に集約すると『勤倹譲』(勤労、倹約、推譲)と表現されることになり、これらが報徳仕法の実践である」

これは現在のソーシャルビジネスにも通じており、尊徳はもうずっと前に経済で生み出される人間の貧困の問題を解決するための方法を発見しそれを具体的に実現し成果を出していたのです。その後、明治維新により西洋化を急速に進める中で報徳仕法は失われましたが世界を救う世直しの仕組みとしてこれ以上のものは産み出されていないのです。

二宮尊徳がこの仕法に気づくキッカケになったのは、大飢饉と飢餓です。自身の人生の苦労から一生涯を懸けてこの問題の解決に取り組んだ方なのです。グラミン銀行のムハマド・ユヌス氏もグラミン銀行の創設の理由を同じようにこう語っています。

「グラミン銀行設立のきっかけは1974年の大飢饉でした。当時、私は米国の大学で博士号を取得して帰国したばかりで、大学で経済学を教えていました。若くして自信満々でしたが、いくら経済の知識を持っていても餓死していく人々を救えませんでした。」

人が貧困や飢餓で死んでいく現状を心底憂い、なぜこうなるのかと社会構造全体の変革について挑戦した人物たち。まさに経済の道の中で、世直しを実行しようとした本物の経済人たち。

このような人たちが、経済というものの本質を見極め、経済とは何のためにあるのかということをシンプルに語り掛けてきます。

「貧困は人災である。貧困のない世界を創る。貧しい人々は力さえ与えれば、チャンスさえ与えれば、才能さえ引き出せれば自立できる、そしてよりよい社会を創り上げることができる。すべての人に尊厳、自由、平和の保障された生活を」と。

今一度、私たちは深く考えなければなりません。

貧富の差の本質とは何か、格差社会の本質とは何か、同じ人間がなぜこのように差別されてしまうのか。それはすべて「心の問題である」と気づいた人たちが世の中を変えていくのです。どうせこの先、行き詰まる世の中で必ず人類の誰かがそれに気づき立ち上がりみんなを動かし世界は変わります。

その過渡期にある私たちは、その問題にみんなで勇気をもって向き合う必要が出てきます。人類の平和や仕合せとは何なのか、本当の暮らしは、本物の人生はどのようなものであるべきか。

道の途中ですから、今を真摯に学び直しながら人生の正味を練り上げていきたいと思います。

 

 

選択と性格

人間関係というものは自分の性格をもっとも磨く機会を与えてくれるものです。また人間関係を通して行う仕事というものも同様に、性格を磨く最大の砥石になります。仕事を通して人間は成長するということがどういうことであるか少し深めてみようと思います。

amazonの創業者、ジェフべソス氏が母校で語ったスピーチに有名なものがあります。その話の中にこのような言葉があります。

「賢さは生まれ持った才能ですが、やさしさは選択です。生まれ持った才能とは、言ってしまえば与えられたものなので努力を要しません。その反面、選択をするということ、これは難しいことなのです。気を付けなければ、才能は私達を傲慢にします。そして自分の才能にうぬぼれると正しい選択をすることが出来なくなります。」

31歳のとき、それまでの仕事を辞めて挑戦するときこの選択が道を切り開く判断基準であったということです。

人間は才能を中心に据えて仕事をしていると、その能力に驕り思いやりや優しさを失っていくことが多いように思います。これを能力主義とも言いますが、その能力で成果を出すことを成果主義とも言います。結局は競争社会で生き残るために才能を磨けと才能のみに集中した結果、社会は貧しくなっていったように思います。

もちろん便利な力は成功を生みますが、その成功が人類の成長とイコールであったかどうかは別問題です。それに道具も使い道次第でどうにでもなりますから、道具といいます。使い手や使い道が成熟していなければ、それは戦争の道具になったり、他人を傷つける凶器にもなります。

それだけ便利な道具というものは、リスクを含んでいるのです。だからこそ発明家や技術者には単に賢さだけではなく、性格が必要になります。どのような性格を持っているかで選択が変わってくるからです。

現在、保育の業界であっても簡単便利に仕事がはかどるような道具は次々に生み出されています。しかしそれは果たしてどのような影響を与えるのかはあまり検証されず売れればいいと楽になるものばかりが増えてきています。本来のものづくりや発明というものは、目指している人間としての成長や仕合せを熟慮し取捨選択をしていくことで後世に遺されていきます。

私が古民家で扱う道具たちも、先人たちは多少不便であっても循環するものを中心に造られ地球が歓び、周囲のいのちを活かすような素材や材料、また使い手の心を磨き続けるようなものを残してくださっています。このものづくりの心は、賢さだけではなく確かな選択によって産み出されたものです。

私も発明家が幼い頃から夢でしたから、エジソンの本は何百回も呼んだし座右の銘もエジソンの努力の言葉にしていた時期も長くあります。発明するためには、世の中が明るくなるためのものと暗くしてしまうものがあります。

だからこそ私たちは思いやりや優しさを軸足にした組織やものづくり、仕事の仕方をしていく必要があると思うのです。それが真の働き方改革であり、それが本来の働く意味に直結しているのです。

子どもたちに譲り遺していきたい未来は、この今の選択にこそ懸かっています。その選択は性格によって決まっていきます。自分の性格を善くするために失敗することが挑戦の本質であり、挑戦することで人間は人間として偉大に成長するのです。

最後にそのジェフべソス氏の後輩へのメッセージです。

「他の人を蹴落としてまで賢くなるか、それともやさしくなるか?80歳になったあなたが、あなたの過去を振り返るとしましょう。その時に一番心に残っていること、思い出すことはあなたが下してきた決断の数々であると私は信じています。あなたが何を選ぶか、あなたが下す決断が「あなた」をつくっていきます。あなただけの道を切り開いて下さい。」

私も日々に子どもたちに先人の徳がそのまま譲れるように、心を優先して頭を使っていきたいと思います。

性格をつくる~木鶏の境地~

人間にはどんな人にも平等に存在しているものがあります。それは時間です。この時間というものは、子どもでも大人でもどんな人でも同じように時を持ちます。しかしその時の過ごし方となってくると同じではありません。その質量も価値も、時間との関係においては個人差があるからです。

その時に対する価値観がどうなっているのかで優先順位が決まっていくとも言えます。その時、何をやるのかというのは突き詰めていけば何を取捨選択するかということが観えている必要があります。

やらなくてもいいことをやっていても時間は足りなくなるばかりですから、本当に何をやればいいかというものに集中していく必要があるのです。その要点を掴む人はもっとも時間を活かしているとも言えます。その要点とは性格が決めているようにも思います。つまり時間を活かす人とは人格が磨かれ高まった人とイコールであるということがわかるのです。

この時間というものと正対するとき、それは単に時間管理能力ではなくその人の全人格が何よりも影響を与えているということがわかります。司馬遼太郎の坂の上の雲の中で出てきた秋山真之という海軍軍人がこういうことを言います。

「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ。従って物事が出来る、出来ぬというのは頭ではなく、性格だ」

その時々で何を先にやることが重要か、そして何から取り組むことがもっとも問題を解決するのかという能力は、今何を先にやるべきかがわかる力とも言えます。そのうえで、敢えて今やるべきことに集中するという胆力が問われるということです。

事物は料理のようなものと同じで、段取りが必要になります。その優先順位を今起きている事物から全体を見極め、その時々で最適な手を打ち続けていかなければなりません。いわば、タイミングを見極め、タイミングに合わせて最善の手を盡していくという判断能力が必要になるのです。リーダーとは、その判断する人のことであり善い参謀とはそのリーダーが最適な判断ができるように心配をかけないように仕事を進め、そのリーダーが自分の役割に専念できるようにあらゆる手を盡していくことです。秋山はこうも言います。

「明晰な目的樹立、狂いのない実施方法、そこまでは頭脳が考える。しかし、それを水火の中で実施するのは、頭脳ではない。性格である。平素、そういう性格をつくらねばならない。」

そのうえで、リーダーと共に実務を遂行する人にも性格が問われるといいます。この性格とは感情や意志などの傾向、つまりは「善い性格」を醸成し続けて自分自身の感情の調整や調和を取る力が必要になるということです。

人間が時間を有意義に活かすためには性格が必要で、その時々に発生する事柄に対して常に自分の感情や意志のバランスを取る力が問われます。たとえば、危機的な時には楽観性を併せ持ち、安定安寧の時には危機感をもって精進するというように常に性格を主軸にバランスを取るのです。

これらのバランス感覚が優れている人が何よりも時間管理に長けており、何を今、もっともやることが全体にとってもっとも必要なことであるかということの判断と行動が実行できるようになると思うからです。

今しなければならないことを先に延ばすのも、やらなくてもいいことをいつまでもやってしまうのもまたこの性格が鍵を握ります。何のためにやっているのかと考え続けていくことも性格を磨きます、また優先順位を常に確認して大胆に取捨選択していく決断や判断も性格を磨きます。

どんな状況であっても性格によって対処していく、これを木鶏の境地と私は呼びます。

しかしそうなるには、日々の時間の使い方、つまりは生き方が左右します。「今何をやるべきか、いつも何をやるべきか、常に自分の使い方を気を付けていく」といった自分の生き方を変えない限り性格も変わらず、性格が変わらなければ時間もまた変わらないのです。だからこそ日々性格をつくるのだという気概が時間を活かす要点なのでしょう。

きっと日露戦争での勝利は、激変激動の中で木鶏であった人たちが導いた勝利だったのでしょう。まさに変化のときこそ、この言葉を大切にしていきたいと思います。

 

草莽崛起

歴史を学ぶ中で志が受け継がれていることを感じるものです。現代の様々なものは、かつて志を立てた人がいて、それを後世の人たちが引き継ぐことでカタチになっているとも言えます。それにこれからもまた、その志を受け継ぎ偉大なことが実現するときまで誰かが顕れ継承されていくのです。

わかりやすいものは、明治維新のころの松下村塾です。吉田松陰もまた、先人たちの遺志を継いで志を立てましたがその志は塾生たちによって実現していきました。また塾生たちが出会った人物たちもその志に触れ志を立てて参画し継承していきました。

たとえば、松下村塾の塾生に久坂玄瑞という人物がいます。この人物は禁門の変によって若くして亡くなりましたが坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作など多くの志士たちに多大な影響を与えました。彼の死によって、志士たちはその遺志を分け合い後を引き継ぎ事を為す原動力にしていきました。

このように志は、志士によって醸成され、それは継承されることでさらに発達発展を遂げていくのです。代を積み重ねるたびに力が増していくのです。自分の代だけで簡単に終わってしまうものは志ではなく、死してなおそれが受け継がれていくようなものを持つことが志ともいえるのです。

「今自分の胸にあるのは、病人を治す処方ではない。天下を治療する処方である」

これは久坂玄瑞が松下村塾で立てた志です。もちろんこれは吉田松陰に出会うことで、志に出会ったのです。そしてその志は次第に草莽崛起という言葉に発展していきます。

「大名や公家はあてにならない。本当に力を発揮するのは草莽の志士の連中だけだ」

そして久坂玄瑞が亡くなったのち、高杉晋作や坂本龍馬、西郷隆盛をはじめ多くの志士たちが同時に立ち上がり草莽崛起を実現していくのです。

この草莽崛起という言葉は、まさに志士たちのためにある言葉です。久坂も「私の志は、夜明けに輝く月のほかに知る人はいない」ということを詠んでいます。見た目は他と変わらぬ普通の人であったとしてもその志は見た目にはわからず理解もされません。しかし自分自身は何よりもその志を知っています。明け方に月を眺め、意志を強く持って行動を続けた純粋な姿が観えてきます。

「私は、意志が弱い人間です。将来、私は、成功出来る人間ではない。しかし、もし私自身が駄目だと思い、行動しなければ出来ることも出来なくなる」とも詠んでいます。いのちを懸けるというものは、いのちを懸けようと行動した人たちが語れる言葉なのです。

それらの志をそれぞれの志士たちが自分の道で実現していくこと、道はたくさんあるのだからその道で志に向かいいのちを懸けることこそが草莽崛起であるのです。

時代がいくら変化しても、草莽の志は絶えることはなく私たちの心魂の中で生き続けて成長を続けていきます。まさに代を重ねていくいのちそのものとなってです。

私も草莽の志士としてなすべき今に集中していきたいと思います。

 

自分に正直に生きる

昨日、海外に住む親戚の長男が聴福庵でオリジナルのダンスを披露してくれました。様々なダンスの大会に出たり、学校に通ったりと自分なりに好きなことを楽しんでいました。

若さの花もありますが、好きなことを本気で打ち込んでいる姿には引き込まれるものがありました。自分に正直に生きていくということは、誰かが教えてくれるわけではありません。自分自身が何よりも悔いのない生き方をしているかは、自分自身が一番よくわかっているからです。

人間は誰しも小さな自分への嘘が積もりに積もっていくうちに自分への不信を募らせていくものです。そのうちに仕上がってしまえば、本心を打ち明けることもなく本心のままでいることもできなくなります。

自分に嘘をつかないというのは、自分に正直になることですがこの正直になるということが頭ではわからないものです。他人に聴かれても正直になるとはどういうことか、それは自分勝手になることか、自分中心になることかと考えてしまいかえって周囲の反感を買う人も多いように思います。

そうではなく、人生は二度となく自分も二人といないのだから「悔いがないか」と自分に問うということが正直であるということなのです。

悔いのない生き方をする人たちは優先順位をもって生きています。自分が何を大切にしているかということ、そして何のためにこのいのちを使うか、そして志を立てるために何を諦め何に集中するかということが腹に落ちています。

だからこそ今に真剣に打ち込むことができるのであり、何よりも自分というものと正対して自分にしかない天命を生きていこうとするのです。天命を生きる人は仕合せな人であり、悔いのない人生を生きる人は幸福を味わいながら歩んでいくものです。

本来の自分が何を優先して生きようとしたか、それを忙しさの中で忘れないように理念や初心はあるのです。自分自身が自問自答することなしに仕合せを掴むこともできず、自分に正直に生きることなしに真の幸福もありません。

一期一会の人生が座右ですが、まだまだ反省することばかりです。

引き続き、自分に正直に生きることで子どもたちに希望の光を与えていきたいと思います。

あなたの志は何ですか?

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。幼い頃から志を学ぶ師と仰ぎ学び続けてきましたが苦しかった年、辛かった年の後ほど此処に来ると志風によって偉大に応援されている気持ちになります。

自分の頭で考えたことがどれだけあった一年であったか、どれだけ他人との答え合わせに生きるのではなく自分の答えを生きたか。ここに来ると毎回不思議ですが自分自身の人生の主人公として魂を磨ききったかと師に問われている気持ちになります。

きっと吉田松陰にとっては日々歳月の艱難辛苦こそが学問を通して自己を磨き自己を確立する善い機会だと歓喜し道の探求と実践を積み重ねた日々を送っていたように思います。それが生前に遺している言葉の数々からも省みることができます。

計愈々(いよいよ)違(たが)ひて志愈々堅し。天の我れを試むる、我れ亦(また)何をか憂へん。

仮令(たとい)獄中にありとも敵愾(てきがい)の心一日として忘るべからず。苟(いやしく)も敵愾の心忘れざれば、一日も学問の切磋(せっさ)怠るべきに非(あら)ず。

志荘(こころざし そう)ならば安(いず)くんぞ往(ゆ)くとして学を成すべからざらんや。

夫れ重きを以て任と為す者、才を以て恃みと為すに足らず。知を以て恃みと為すに足らず。必ずや志を以て気を率ゐ、黽勉に従ひて而る後可なり。

を立ててもって万事の源となす 。

この「志を持つことをすべての原点」とした吉田松陰の教えは、松下村塾の塾生たちの生き方に多大な影響を与えました。そしてそれは死後もまた、純粋な日本人の魂に語り掛け続けています。

気が充実するというのは、機が充実するということです。これはその機会が満ちるのを待つという状況であり、それまでは気を蓄え機(タイミング)まで力を磨き続けるということです。この「気」こそまさに志から発するものであり、気力の充実は志力の充実でもあります。志が結実するとき、まさにそれが時機でありその時期に応じている結晶が結果として顕現します。

すべての機会を自分を磨くためにあるとする生き方は、今のような人生とはあまり関係のない歪んだ学問がひろまっている時代にはとても大切な指針になるように思えます。学問は他人のためではなく、自分のためであるといったのは孔子の時代からあったことですから今さらどうこう言っても仕方がなく、指針として生き方を学び直すしかありません。

志とは、刀と砥石の関係であり魂は志があってはじめて磨かれるのです。

最後に今年のテーマに近い言葉に出会いました。どの時代においても変化に適応していくことは学問の要です。

「天下に機あり、務(む)あり。機を知らざれば務を知ること能(あた)わず。時務(時務)を知らざるは俊傑(しゅんけつ)に非(あら)ず。」

意訳ですがこの世には必ず機があり、それを待つ実践というものがある。いくら能力が高く優れていたとしてもその幾に当たらなければ決して何もできはしない。その場その場に集中し、今を適切に応じて実践していくことなしには天与の才徳を持っているとは言えないのである。と。
つまりは本来の天才は、日々の実践を知るものこそが機を活かすことができるということです。目標が達しないからと腐るのではなく、まだまだ志が低く徳が薄いのだと精進するものこそが天与の才徳を活かすのでしょう。
過去や未来を思い憂い、今から離れようとする時こそ「あなたの志は何ですか?」という言葉を三省して自己を磨き続けていきたいと思います。子どもたちに譲り遺していきたい生き方を自らの道を歩むことを以て伝承していきたいと思います。

しっくり

和室を整えていると、心も同時に整ってきます。和とはそもそも整い調和することで、すべての関係性があるべきところに配置され理想的な空間を産出すことを言うと私は思います。

たとえば、自然であれば美しい山に入るとそこには様々な自然が配置されています。木々はもちろんのこと、川のせせらぎや大きな岩、そして谷に空に獣道まで見事に調和して山の風景を彩ります。美しい山には、不自然な物はなくそこには自然に造形したものが見事に配置されているのです。この配置は一つではならず、あるべき場所にあるべきものがしっくりくる時に感得するものです。

このしっくりとは何か。これは私の感覚では根づくということです。たとえば、畑で苗を植えていきますがその場所に相応しいところに配置しなければ他の野菜たちとぶつかり安心して育つことができません。その苗が生きていくために必要な空間、またはその畑全体の配置を考えて植えていかなければそれぞれが結実していくことがありません。

同様に和室の空間の道具たちもまた、全体の空間にしっくりと来るように根付く場所を与えてあげなければそのものが宙ぶらりになってしまいます。そういう時は、片付けをして仕舞いまたその場所が空くのを待ってもらうか、もしくは別のところを探して配置していくしかありません。

この根づく感覚がしっくりであり、それは具体的にその場所でそのものを置いてみなければわかりません。しかしこのしっくりと来る感覚が分かれば、次第に心が落ち着くということもわかってきます。

お互いの関係性が結びつきやすいものか、その場所が居心地の善い場所か、それは物を置いてみればわかりますし、一緒に並べてみればわかります。私は古民家で、炭と水晶を一緒に活用することもありますが火と水というものも調和するととてもしっくりと来るものです。火鉢の鉄瓶から湯気が立っているのを観る感覚に癒される人が多いことと同じです。

それくらい万物が一体に調和すると、心もまた落ち着いてくるのです。この心の落ち着きこそがしっくりであり、しっくりくるときその場はとても清浄な場所になっていることが証明されます。

場づくりというものは、目には観えませんがマネージメントの本質であり人間の智慧の結集されたものです。私はこれを風土と定義しており、私の持つ風土感はこの一点に凝縮されているのです。

心が落ち着けば自ずから穢れは払われ、その場は清浄になりすべては調和します。調和を乱さないように常に配置には気を付け、常に配置に配慮することが思いやりや真心になっていくのです。

なかなかこれを誰でも伝わるように仕組み化するのは骨が折れる作業ですが、諦めずに子どもたちのためにカタチにしていきたいと思います。

大晦日~日本の心~

いよいよ本日は大晦日になりました。年々、暮らしが遠ざかり年末年始の正月の雰囲気が薄れてきているように思います。思い返せば幼いころは、年末年始のご挨拶まわりやお歳暮やお年玉、正月の準備の熱気をあちこちで感じたものです。最近では、コンビニをはじめずっと営業している店舗ばかりで休みというものがなくなり、より暮らしを楽しむ時間が失われてきたのかもしれません。行事の意味も変わってしまい、言葉は知っていてもその意味を知らない人が増えてきたこととマンネリ化して深く考えずにただ過ごしているうちに本質とはかけ離れたことをしていて周りもそれを信じて伝承していることもあります。

文化やアイデンティティを持つというのは、何が本物で何が本当か、そして本質は何かということを正しく理解することが大切です。見た目だけを誤魔化しそれが本物にとって代わってしまわないように、プロセスを偽り結果だけで物事を判断しないでいいように真実は語り続けられなければならないのです。歴史の重要さは、自分自身が本物の人生を歩んでいくために必要不可欠なのものです。

この「大晦日」というものも、言葉は知っていてもその意味は最近では語られません。これは旧暦の太陰暦の月の満ち欠けを「晦」といい、月が隠れてしまうことを月隠れ(つごもり)が転じた言葉だと言われます。

新月が1日、月が隠れるのがだいたい30日頃だったためその日を晦日というようになりました。毎月末を晦日といい、一年を締めくくる最後を大晦日といったのです。

この日は、家をずっと守ってくださっている歳神様、歳徳様といった五穀の神様をはじめ祖霊やご先祖様が遠来される日とされ準備をして待つ祭祀の日でした。今では旅館やホテルに泊まったり、カウントダウンなどのイベント会場や有名な神社などで初詣をしている人が増えています。

本来の伝統では歳神様が訪れるのを家人たちと共に一晩中起きて「家に居て待つ」ものだったのですが、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891年(明治24年)の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などが実施されるようになり、さらに関西の鉄道会社が正月三が日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝しこれが全国にまで広まったことで家で歳神様を待つ「年籠り」という習慣は次第に失われたと言われています。

正月の準備をする中で、歳神様の存在を意識しながら行えば自ずから大晦日は家で待つようになるはずです。しかしなんとなく周りがやっているように意味も分からずに右へ倣へをしてしまうと家で待つという概念は失われていきます。

一年が豊かで充実したのは、日ごろから暮らしを見守ってくださっている御蔭様の存在を意識すること。それは月のように、太陽の陰で常にいのちを見守り育んでくれている存在に気づくということ。夜に月を眺めては、満月の時、御隠れの時と、月の存在が暮らしを支えてくれたことをむかしの人たちは自覚されていたのです。そして感謝の心で、また新年も歳月の福が再び訪れるようにと祈りました。

日本人は常に頂いている方を観て、ないものねだりをせずにある方をもったいなく使わせてもらう慎まやかな暮らしを積み重ねてきました。年中行事には、そういった日本の心が生きています。

御蔭様で暮らしの甦生は古民家甦生と共に着実に一歩一歩積み重ねられています。これもまた歳月を司る歳神様の恩恵なのかもしれません。丁寧にひとつひとつ、心を籠めて子どもたちに伝承していきたいと思います。

懐かしい道具たち

昨日、伝統的な御餅つきを聴福庵で行いました。伝統的というのは、自ら稲作をし収穫したものを木臼や杵、また竈と木製の蒸器で麻布でお米を蒸して子どもたちと一緒に餅つきをすることをここでは伝統と言います。それくらい今では、臼や杵などを持っている家も少なくなり御餅もすぐにコンビニで買えますから餅つきをする必要もなくなっているからです。

ちょうど28日に御餅つきをし、鏡餅をお祀りするのは縁起が良い末広がりの8がつく12月28日にするのが一番適していると言われているからです。むかしの人は縁起を担ぐため餅つきをする日も選んでいました。たとえば12月29日は「二重に苦しむ」からとか、それに12月31日は「一夜飾り」慌てて準備をしたとなると歳神様に失礼に当たるから餅つきはしないほうがいいと伝えられています。実際には、29日を福(ふく)と呼ぶため構わずに29日に御餅つきをする地域や家庭もあるそうです。

餅つきは、呼吸を合わせて杵で搗きますから年に一度の経験だけではそんなに上達しないものです。しかし日ごろから一緒に暮らしているもの同士であれば息が合うものです。最初は、お米を引き延ばしながら米粒をつぶしていきます。そして捏ねながら搗いていきます。臼と杵の木が受け合う高音が心地よく、静かな地域に餅つきの音が響いていました。

竈の荒神様の祭壇に灯をいれ、見守りの中で餅つきの行事を清々しく進めていきます。有難いことに水も井戸水を使い、火は備長炭、むかしの竈も道具たちもすべて伝統的なものだけで御餅ができることの有難さに心が落ち着きました。

特にハレの日の出番の道具たちは、ハレの日以外は仕舞われてじっと待っています。しかしハレの日なると、どれも晴れ晴れしく活躍しいつもと様相が変わってきます。道具もその時手入れし、また修繕をしながら御礼を言って仕舞います。

日本人の暮らしは、暮らしを彩る道具たちとの御縁は切ることはできません。機械化され、便利になってかつての暮らしの道具たちは廃棄されるか骨董屋さんにいき海外などのコレクターに収集されています。しかし、暮らしを一緒に生きてきて豊かな思い出と懐かしい記憶をいつまでも持ったまま残存している道具たちは仕合せのつながりをいつまでも保ったままです。

そしてそれがかつての伝統的行事の実践と共に甦ってきます。まるでタイムスリップしたように、かつての記憶、その道具が使われていたころの思い出がその場に帰ってくるのです。道具たちは確かに無機物かもしれませんが、その道具たちと共に生きた方々の記憶はその無機質のはずの道具にいのちが宿っていくのです。道具はその単体でいのちがあるのではなく、御縁が結ばれることによって新たないのちが芽吹きます。

それは木が加工され新たなものに生まれ変わるように、いのちもまた御縁と結びつきによって新たないのちが生まれるのです。そしてそのいのちはいつまでも生き続け、そのいのちに触れる人たちによって永続的に生き続けます。この感覚を「懐かしい」と呼ぶのです。

懐かしい暮らしの復活は、いのちの復活でもあります。かつての人々、先人や先祖が身近に感じられる生き方、つまりは徳や恩を感じながら感謝で生きていく生き方の甦生なのです。

年中行事にはそういう懐かしさが生き続けていますが、それを彩る道具たちの存在は欠かすことはできないのです。だからこそ大切にいのちが永く続くように寿命を伸ばすための工夫や修繕、手入れを怠らなかったのでしょう。

御餅つきということをするだけで、それらの生き方が学び直せ自分の生き方も次第に変わっていきます。いのちを粗末にすることがないように、いのちを輝かせる人たちが増えていくように、伝統から学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

鑑餅~円満福~

本日は、年代物の手掘りの木臼と百日紅の杵を使い餅つきをして鏡餅をつくります。今ではどこでも簡単に買って来れますが、そうすると餅つきをするプロセスがなくなってしまうものです。本来は、この餅つきの中に意味が籠められており歳神様をおもてなしする大切な信仰行事の一つです。

鏡餅の名前の由来であるこの鏡は、日本の神話の中で出てくる三種の神器の一つ「八咫鏡」からとったものです。丸い餅の形が銅鏡に似ていてその鏡に映る自分を「鑑みる(かんがみる)」ということから「鑑餅」となり次第に「鏡餅」と名前が変化したと言われています。この「鑑」という字は、「金」は金属の象形を覆う様子を指し、臣は大きく見開いた目の象形文字、そして臣の右横にあるのはタライを覗く様子の象形文字、皿は水の入っているタライの象形文字です。この金と監の合わさった会意兼形声文字である鑑には、金属製の鏡を意味します。ありのままの価値をそのままに映し出すという意味でもあり、鑑定、鑑賞などでつかわれます。

八咫鏡は、天照大神のご神体として今でも伊勢神宮でお祀りされているといいます。説明にはこうあります。

「鏡はその人の真影を映すので,天照大神は孫瓊瓊杵(ににぎ)尊を大八洲国(おおやしまぐに)につかわすときにこの鏡を渡して,もっぱらわが魂としてわが前にいつくがごとくいつきまつれと勅した。その鏡がいまも伊勢神宮に神体として祭られる八咫鏡(やたのかがみ)であるとする。鏡をもって神体とすること《皇大神宮儀式帳》を見ても,荒祭宮(あらまつりのみや)は大神宮の荒魂(あらみたま)宮と称し御形は鏡であるとする」

つまりは鏡を観ればそこに天照大神が顕現するとあります。神社や神棚には、鏡がお祀りされています。その鏡は、まさに自分の姿のありのままを映し出す存在して真実をうつす鏡とされたのです。その鏡が曇り澱めば真実はうつりません。だからこそ磨き清め、払い清めて澄んだ真心を高めなさいとしたのでしょう。

この鑑みることを想う時、私は吉田松陰の辞世の句を思い出します。

「吾今 国の為に死す; 死して 君親に負かず; 悠悠たり 天地の事; 鑑照 明神に在り」

天が観てくださっている、必ず真心は明るみになるという鏡の境地です。祈り歩めば、必ず天が照明するということ。天命のままに生きたことは、必ず天がその意味や価値を明らかにするということでしょう。

話を鏡餅に戻せば、丸形のお餅は円満や心臓を表し家族の心身の円満を意味します。二段重ねなのは、太陽と月、陰陽を表し日月円満、つまり日々が充実して円満に過ごせることを意味します。

またお年玉の由来もこの鏡餅からで、これは歳神様の依り代になったものだから「歳神の魂」が宿ったものからきています。つまり御歳神魂(おとしだま)ということです。年長者から子どもたちに食べさせたことで、お年玉を配るようになったといいます。

また鏡餅は、橙、干し柿、昆布、四方紅、御幣、三宝、扇などと一緒に飾りお祀りします。これは説明が長くなるのでまた別の機会に紹介しますが縁起は時代の流れと共に少しずつ増えていき変化してきたのでしょう。本来は、八咫鏡である鏡餅が原型なのは自明の理です。

どのような心で正月をお迎えするか、歳神様をおもてなすか、それは鏡餅を家族で創る中で感得できるものです。今では、食中毒になるとか、すべて機械任せで量産したりとか、食べ物でもない見た目だけの鏡餅とかに代用されたりとむかしから変えてはならないものまで便利に変わってきました。

餅つきには楽しく笑い、感謝と澄んだ心でついてはひっつきのばし、こねては丸くしていく、まさにこれは私たちの会社で大切にしている「一円観」の思想にも通じています。円満は福に通じるということです。

すべて円満福の素直で明るい心は、私たち日本人の精神文化でありアイデンティティの一つです。子どもたちに伝承していきたいことを鑑みて、暮らしの実践を積み重ねていきたいと思います。