自然の仕組み

私たちは1年のめぐりを四季を通して行います。1000年続いていれば、1000回の四季を、そして2000年続いていれば2000回の四季を巡ってきたことになります。私たちは時代を年数で捉えますが、実際にはその回数繰り返してきたということでもあるのです。

自然の仕組みは見事で、毎年同じように繰り返されます。その都度、はじめからやり直すようになっていて私たちはその自然に合わせて自分たちもはじめに戻します。例えば、種を蒔き、芽が出て、花が咲き、実をつけまた種になる。この繰り返しですが、自然はその前の一年と同じことはほぼありません。毎回、はじめに戻りますが同じことは二度とありません。

その都度、私たちは謙虚に自然の姿から学び、自分たちを変化に合わせて成長させていく必要が出てきます。つまり自然の変化にあわせて私たちも進化し続けているのです。

同じように菜の花が咲いても、同じ菜の花はない。

これはタイミングも異なれば、同じ量でもない、大きさも形状も前の年とは異なります。つまり自然のあらゆる生命は同じように、自然と調和しながら進化を已みません。そして一緒に、進化して生きているのです。

私たちは自然と共生しながら、その生き方を学び、同じように変化に合わせて繰り返しの中でいのちを磨き直していきます。

いつまでも同じようにしていくのは、私たちが自然の存在であるからです。

大事な時こそ、今までどのようにして暮らしを営んできたのか原点回帰していたいものです。謙虚に、人類の行く末と子どもたちの平和のために尽力していきたいと思います。

変化の創造

成熟してきた業界のことを観察していると、今までの仕組みが邪魔をして変化が停滞していしまっているところがよくあります。その時代時代に、課題がありそれを解決するためにはじまるのですがその時に作った仕組みやシステムが陳腐化してくるのです。

その時は、それでよかったものが時代が経つとそれが変化の邪魔をするのです。そもそも移り変わっていくということが分かっていれば、移り変わる中で何が今の時代の要請なのかということを常にとらえて学び続けることができます。しかし、日々の忙しさに追われてそんな時間が取れなくなると次第に移り変わることを忘れてしまいます。

あまりにも目先のことや日々のことに追われていくと、人は変化に疎くなるのです。

変化していくためには、少し忙しさから離れて世の中の変化をよく見つめ直す時間が必要です。もしくは、忙しくしない日々を生き、常に変化というものを見つめる観察眼を養う必要があるように私は思います。

かつての人たちは暮らしの中でその観察眼を磨いてきました。

日々の小さな変化、自然の変化に目を凝らし、小さな虫一つ、植物の変化一つを気づき、そこから世界の変化を予測していました。自然界にも兆しというものがあり、世界の反対側で起きていることでも小さな自然の変化から想像することができるのです。

今は、テレビやインターネットで世界の反対側の情報も映像などで入ってきますがむかしは長い時間と小さな変化を観察することで情報を入手したのでしょう。もともと地球は球体ですから、投げたものは長い時間をかけて返ってくるものです。これは意識の変化も同様です。歴史が刻まれていく中で、人間の意識も少しずつ変化していきます。

コロナがあり、戦争があり、人間の心理や感情も刻々と変化していきます。

毎日は同じように見えても同じことは一つもありません。

その時々によく観察し、原点回帰しながらも何が変わったのかを見極めて順応していくしかありません。昔と比べてではなく、まさに今がどうなっているのかに集中するということでしょう。

子どもたちの未来のためにも、新たな変化を創造していきたいと思います。

甦生の心得

私は甦生の取り組むをする際、とても大切にしている心得のようなものがあります。それはそのものの持っている徳を感じるように取り組むことです。これは言い換えれば、ご縁を感じることに似ています。

自然はそれぞれにいのちがあり天命を生きています。それをそのままに尊重することで、その徳が出てきます。あるがままに活かすというか、ありのままにその時々のご縁を味わうような具合です。

そもそもご縁というものは、一期一会です。

二度とない組み合わせで、その時の記憶に刻まれていきます。これは物の組み合わせも、そしていのちの組み合わせも、その時々の絶妙なタイミングで発生してきます。

みんなその絶妙を生きている存在であり、そこに疑うものはありません。そしてその絶妙で顕れたご縁に対して、それを深く味わっていく方を優先していけばそのうちそのご縁がととのっていくのを感じます。

ご縁がととのうというのは、あるようにあり、なるようになり、あるがままになるというものです。これをある人は、待っているといい、またある人は、満ちるともいいます。

自我というものは、自分の思い通りにしようするものです。ではその反対は、思い通りにしないと通常は考えます。そうではなく、思っている以上の不思議な何かがあると信じるとき、自我合一し自然に想いと一体になります。

想いというものは、操作しているようで操作せず、自分があるようで自分ではない。まるで山のようで、まるで海のようで、まるで空気のように透明です。私たちたちは本来は、地球と一体になって暮らしていますから地球そのものともいえます。

私に与えられた天命とすべてを丸ごと受け容れて生きている方が、あまり執着もせず日々は豊かで楽しいものです。他人と比較せず、あまり持っているとか持っていないとか思わず、足るを知り、あるものを活かす方がみんなの天命に出会えるものです。

年度末で色々と周囲のスケジュールに巻き込まれてしまいますが、こういう時こそ、穏やかな暮らし、日々の暮らしフルネスを楽しんでいきたいと思います。

学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。

知恵の本質

経験というものは知恵そのものです。人は経験をするという時点で知恵を得ているともいえます。経験をよく観察すればするほどに、そこには知恵が隠れていることがわかります。失敗をすることも成功をすることも、それは実はどちらでもよく大切なのはそこから何を学んだかということです。

この経験は、時間が経つことで観えてくる境地があります。経という字は、もともと縦軸の意味があります。つまり長い時間をかけて培われてきた知恵のことです。お経もひょっとしたら、その経の意味もあるのかもしれません。

そしてその縦軸の経験をじっくりと何回もその時々で観察してみる。すると、時間が経つにつれ、経験の質量が増えていくにつれ知恵が鮮明にかつ多面的に入ってくるようになるのです。

一つの小さな経験が、他の経験の助けにもなります。

よく一つを極めた人が、他でも極めていく道楽者の人たちをみかけますがこれはあらゆる経験から知恵を会得しその知恵によってまた別の道も達していくのです。先達というのは、あらゆる知恵を会得するような経験や体験を修練を積んで得た人です。

私たちは今、頭ばかりつかって知識を得ていますがそれで分別知は磨かれます。わかりやすく整理され、複雑な言語を使い分けまた新しい定義の言葉を産み出せます。しかし現実の世界では、現場がありますから場に真実が出てきます。

その場は、身体感覚や五感、そして直観や第六感などあらゆる全体を駆使して知恵を活用していかなければ物事を真に理解し全体と調和していくことができません。つまり知恵が必要になるということです。

子どもたちには、知恵を学ぶことの大切さを背中で伝えていきたいと思います。自分を信じて、経験をすること、観察すること、そして修練を積み、知恵を磨くことを伝承していきたいと思います。

和やかなテクノロジー

最近、ある人の紹介で「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)のことを知りました。これはシンプルに言えば、人、情報、自然が一体になって調和したテクノロジーのことを言うそうです。

もともと今のような情報社会になることをユビキタス・コンピューティングの父とも言われる有名なエンジニア、マーク・ワイザー氏はすでにその当時から予見していました。そしてそのワイザー氏が、現代のようなユビキタス・コンピューティングの時代に「カーム・テクノロジー」というコンセプトが必要になると予言していました。

このコンセプトは、テクノロジーが暮らしの中に溶け込み、自然にそれを活用しているという考え方です。このコンセプトは約四半世紀を超えて、人類に求められてきているテーマになっているということです。日本でも、この考え方を実装するためにmui Labという会社が京都に創業しています。この会社が監修したアンバー・ケース著の『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(BNN 2020年)にわかりやすくその内容の一部を整理しているので紹介します。

「テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない」

「テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなければならない」

「テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない」

「テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない」

「テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない」

「テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない」

「テクノロジーの最適な容量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である」

「テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない」

もともと、この「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)はなぜ必要になるのか。これは私なりの考え方では、自然を尊重するなかで如何にテクノロジーとの共生をするかは人類が生き延びるための普遍的なテーマだからです。これは避けては通れず、やり過ぎればどの文明も自分たちの技術によって滅ぶのです。これは歴史が証明していますからいつの時代でもその時代に生きる人が取り組む課題になるのです。そしてこの課題が発生する理由は、そもそも道具というものを使い進化するということの本質にこそあります。

元来、道具というものは、全て使い方から産まれるものです。そして使い方は、使い手の人間力そのものによって最大効果を発揮します。使い手が如何に人間的な徳を磨いてきたか、そしてその徳を積む環境の中で道具と調和をはかったきたか、そこには時代に反映された生き方と働き方があります。

道徳と経済の一致の話も同様に、人はどの時代においても謙虚や自然への畏敬、そして自分たちの文化や歴史を洗練させてきました。この時代においても、それは必要で今の時代は特にテクノロジーで便利になり過ぎているからこそ危険なのです。

自然環境が破壊されるのもまた、その行き過ぎた消費文明の中の技術主義にこそあります。技術が技術を調和するには、確かに私もこのカーム・テクノロジーが行き過ぎたテクノロジー依存の人類には必要だと実感しています。道具だけ進化させても人間力が伴わなければ片手落ちになるからです。それは、今の人類の核の利用をみても明白です。

私ならこういう時は先人に倣います。自立した先人たちがずっと大切にしてきた伝統的な日本の和の暮らしをととのえながら、その時代に発明された道具を必要最小限で最大の効果を発揮する仕組みを知恵として生活に取り入れるのです。

私が提唱する暮らしフルネスは、古民家の懐かしいもの、宿坊の仙人的な知恵に囲まれていますが文明のテクノロジーは否定していません。むしろどれだけテクノジーを人間力で高められるかに興味がありそれを実現させようと取り組んでいるのです。これを徳という砥石を使ってやりましょうと話しているのです。言い換えれば、私なら穏やかではなく「和やか」というでしょう。そしてこの和やかな暮らしこそ、人類を救うと私は確信しています。

和やかなテクノロジーを、この日本、この福岡の地から発信してみたいと思います。

漬物をつなぐ

昨日は天日干しした伝統の堀池高菜を仮漬けしました。ここから1週間近く漬けてから、本漬けといってウコンなどを加えて木樽に移動して他の高菜と合わせて漬けこみます。

もう11年近く漬け続てけていますし、もともとは百年以上続く老舗の高菜の菌が棲みついていますからそこで漬けることで独特の風味を産み出してくれます。種のことをブログで書きましたが、実はこの菌との共生や生き方もまた伝承していきたいものの一つです。

漬物というのは本来保存食でもあり塩は私たちの健康を守る大切な食材でした。ローマ時代には、塩が給与で支払われていたことで今のサラリー(給与)の語源になっているともいいます。かつての日本の食文化である一汁一菜は、ご飯とみそ汁と漬けもののことでした。塩とご飯、おむすびもですがこれが私たちのいのちを長年支えてきた基本のものです。

現代の塩はあまりいい塩がなく、むかしの塩づくりは自然に沿っていましたから健康を維持するのには欠かせないものでした。縁あって今、100年前の梅干しを一壺いただいていますがその塩は今でもしっかりとしていて味も美味しいです。100年以上保存できるものは、この塩が関係していることをそこから学びました。

漬物の原理は、塩の浸透圧を使います。浸透圧は、水がもともと濃度を一定に保とうとする力のことです。野菜の中の養分が外に出て、その分、塩が中に浸透していきます。その養分が菌たちの繁殖の栄養になり発酵してその野菜を別のものへと転換していきます。

重しをのせますが、これも水分を出やすくなるのと重力の力をつかい沁みこませて安定させる効果もあります。この野菜の水分で野菜が漬かることで漬物は完成します。空気に触れると腐敗菌が発生するので、塩分のある水の中に漬かることで腐敗よりも発酵を促進させます。

後は、塩分濃度さえ調整していけば、何年でもその漬物を食べ続けることができるのです。体にとっては、発酵した菌を取ることで腸内フローラも元氣にし、腐敗を防止します。漬物を食べると元氣になるのは、この発酵の仕組みをそのままに体に用いているからです。

いい塩、いい菌、いい野菜を食べ続けることで私たちは健康の基本を保つことができていました。今の時代のように多様で飽食の時代は、健康を保つことが難しくなってきています。医療がその分、発展発達して治療もできるようになりましたがその分、治療費もかなりの額になっています。この時代に生まれてきたらこれが当たり前なのかもしれませんが、本来の健康環境とは程遠くなっているかもしれません。

時代がまた揺れ戻され、何らかのかたちで治療ができなくなってきたらきっと私たちの日本もまた一汁一菜に回帰する日もくるかもしれません。その時、この漬物を守ること、塩を守ること、智慧を守ることは子どもたちのためになります。

今、やっていることを信じて、粛々と繋いでいきたいと思います。

茅刈り

昨日は、熊本県阿蘇郡高森にある萱場に茅葺屋根用の茅を刈りにいくご縁がありました。友人や仲間がたくさん駆けつけてくれて、みんなが楽しく茅刈りを行いました。

思い返せば、この茅葺とのご縁は私の故郷のお地蔵様が祀られている建屋の屋根を私が喜捨をして甦生するという話からです。その話は、地元の方々との折り合いがつかずに中断することになりましたがその御蔭で、一緒に徳積財団を設立することになった親族の叔父さんと出会い、その近くにある藁ぶきの古民家を甦生することになり、さらには今回のように英彦山の宿坊の屋根を葺き替えるというご縁になりました。

ご縁は最初からそうっなっているかのように繋がっていて、絶妙なタイミングで一期一会に場にも人にもと時にも出会います。答えが先にあって、それを象っていくかのようです。

有難いのは、その答えが最初からわからないからこそ有難い体験になっていくということです。私自身は慎重で臆病ですが、勇気を出せるのも挑戦できるのも、この「ご縁」を羅針盤にしているからだと思います。

資金面や材料面、知識も経験もすべて不足していてもみんながいるという存在感やご縁を信じるという目は見えない繋がりを味わって生きていくことができるからなんとかなっているようなものです。

今回の茅葺もとても貴重な体験になりました。

もともと私たちが古民家で使ってる材料は、すべて自然素材で自然由来です。ということは、その自然素材はどのような風土や環境で、いかなる特性を持っているのかを学ぶことで先人たちがどのように自然と共生してきたかがわかります。

ちょうど、私たちが茅を刈りに行った場所も本日から野焼きがはじまります。阿蘇の茅は特に良質で、しっかりとまっすぐに伸びていて丈夫でしなかやで品があります。水をはじき、長持ちし、雨や風から家を守ります。

昔の人たちは、身近にある素材を暮らしの中に上手に取り入れました。草草も捨てるのではなく、これはどのような徳が備わっていてその徳にどう報いようかと謙虚に考えたいのではないかと思うのです。

それは偉そうに、何かに活用してやろうといった人間都合の見識ではありません。自然への畏敬や畏怖、そして何よりもいのちを慈しむやさしさに満ちたものです。

私の取り組む甦生は、根本にはこの観点を忘れません。

今の私があるのも、人類が続くのもすべて自然の恩恵、自然の御蔭さまです。自然素材自然由来に感謝してこそ、本当の意味で本物の加工品になるのです。

子どもたちのためにも、プロセスを外さずに大切な文化を伝承していきたいと思います。

危機に備える

今回、ウクライナとロシアのことでウクライナの人たちが「まさか本当に侵攻してくるとは」とほとんどの人がショックになっていたというのを報道で見ました。私たちも外から見てて、世論も最初は脅しや一部の地域だけの侵攻かと思っていたら全面的に侵攻していきそこでまさかと考え始めます。そして第3次世界大戦が起きるのではないかと、それも今でもまさかそんなことはを思うようになっているはずです。
コロナの時も、想定外が発生して初動が対応できなかった国もたくさんあります。そして今は、戦争が発生してどのように想定外に対応するかが試されているのです。
昨日は、原発を攻撃したという報道が流れました。その時、私もまさかそんなことがとショックを受けましたが戦争ですからこれは当たり前に想定されることです。しかし、そんなことは起きてほしくないと思っていることや、まさかそこまではしないだろうとバイアスがかかっていることに気づきます。
本当の危機は、自然災害よりも人間の人災の方が確率も高く衝撃も大きいものです。これから世界がどのようになっていくのか、思考を停止させず危機に備えて動いていきたいと思います。

時代の責任者

ロシアがウクライナに侵攻をして世界は戦争の意味をもう一度、確認することになりました。誰も望まないはずの戦争はいつから発生するのか。それは歴史を省みると少しずつ明らかになってきます。

私たちは最初に戦争をはじめたのはいつか、それは古代の頃、領土を取り合うことではじまります。地域によって得られる富が変わってきますから、当然人はよりよい領土を広げて富を増やしていこうとします。しかしそこには先住民がいたり、あるいは別の人たちがすでに富を確保していたとします。富は、その領土の経済力を決めますから富を守るために強烈な軍隊を持つこともでき、さらに国力を増大してその富を拡大させてさらに富を守ろうとしていきます。

世界は、ずっとその繰り返しで領土を取られたり奪われたりをしてきました。そして現代もまた、冨の拡大のために新たな領土を探し続けて争いはなくなりません。日本でも最初の大きな政府が誕生してきたら富を集中させてそれぞれの領土の人たちのバランスが崩れて戦争にならないようにコントロールしてきました。戦国時代などは自分たちの富を増やし守るために領土を取り合うために発生した時代でもあります。

江戸時代には江戸幕府ができて、戦争が起きないように見張りました。すると領土が拡大できない分、隠れて貿易をしたり年貢を必要以上に取り立てたりと富を守る工夫は続きました。富は、常に人類の戦争の中心にあったのは間違いないことです。

世界には、その理屈を知り、冨をうまく分配し合って助け合う領土もありました。しかし、冨を拡大する領土から狙われる羽目になり失われていきました。自分たちのものにするには、その領土の人たちも自分たちのものにする必要がありましたからそれぞれに言葉や文化、あらゆる価値観を融合していくために宗教なども入っていきました。

今もその構造はほとんど変わっていません。

その当時の人々も、農民や職人たちもそんなに裕福だったわけではありません。裕福だったのは一部の富裕層であり、その富裕層が富を守るために戦争をはじめていくのです。農民一揆なども同じように、貧富の差が拡大することによって人々の不満が高まりさらに押さえつけるために強権を発動していき抑え込める。それが限界に達すると、政権が変わる。そのうちまた同じことが起きて繰り返す。こういうことばかりをずっと数千年も前から繰り返しているのです。

私たち人類は、情報化社会で色々なことを知ってきました。むかしは諦めていた人々も今では、情報を学ぶことによってこれは諦めることではないことを学んでいきました。

この時代、人類が真の幸福や仕合せになるために何をすべきかということを全人類に問われているのです。

冨=幸福という構造を如何に乗り越えるのか、そのためには富は何のためにあるのかから考える必要があります。日本も戦後に物質的には非常に裕福な国になりました。毎日大量のごみを捨てても、まったく影響がないほどに、食べきれない食料をもち、使い切れないほどのお金を持つことができました。これである一面では幸福になったのでしょうが本当にそれだけでいいのでしょうか。

私は、人類がもっとも望んでいるもの、富を超えて本当に幸福を感じるものがどれだけあるのかがそろそろ人類で議論する時期が来ているのではないかと思います。それで暮らしフルネスを実践することを自らがはじめています。

冨ではない別の物差し、真の豊かさということをみんなで考える時期に来ているということです。戦争はもうここまでくると、人間とは切り離せない全体の一部ではありますが自分たち一人一人のみんなが当事者として自分に打ち克っていくことで戦争を小さく未然に防いでいくことができるように思います。

時代の責任者として、こんな時だからこそ暮らしをととのえていきたいと思います。