目的意識~夢を掴む~

自分が何のためにやるのかということを持つことを目的と言います。人は目的を持っていなければ、行う事柄の意味を日々に積み上げていくことはできません。単に同じことの繰り返しであっても、それが何のためかと培っていく人と、そうではない人では長い年月で大変な差がついてしまいます。

例えば、何かを行う際に、単に言われた通りに従って考えずに行う場合は目的を持っていないとも言えます。しかし何のためかを全てに考え抜き、確固たる信念にまで昇華した目的を持ちそれに取り組めば着実に目標に近づいていく実感もまた得られるのです。

この目標というのは将来、こうありたいという結果のことです。そして目的はそれを実現するために一体何をするのか、言い換えれば何のために今、これをやるのかを自分が持つということです。もっと平坦に私なりの言い方をすれば、目的は「何のため」、目標は「何であったか」ということです。

目標を持つというのは、将来の夢を持っているということです。こうなりたいとか、こうありたいとかもあるでしょう。しかし本来の目標というものは、今、最も身近な人の御役に立っているところの延長線上にあると思うのです。家族でも友人でもお客様でも、社会に何の役に立っているかを観ればいいのです。

なぜなら人は、無意識ですが自分の魂の声にしたがって自らの道を必ず歩んでいるからです。それがどんな職業であれ、誰かとの出会いであれ、そのすべては必然であるからです。

必然というと運命論者かと言われるかもしれませんが、そうではなく社会というのはひとりでにできたのではなく、周りの全ての中で自分が存在しているからです。

万物は循環し万命は流転するように全てはつながっている中で自分が生かされているものです。あのお花一輪も自分のみで生きているのではなく、そこからつながりを辿れば地面の土、周りの草花、昆虫、気候、山々、雲や風、太陽から月、銀河系や大宇宙、全体無法まですべてにつながって存在しているのです。

自分勝手に自分だけで夢を探しても本来はつながりのなかで今の自分の布置があるのだから今の自分をあるがままに受け容れる方が将来の目標が観えると思うのです。日々の生き方が死に方であり、夢とは死を想えば観えてくるはずだからです。自分の生きているうちと、死んだ時のことを考えれば目標は誰でも設定できるはずです。

そして目的とは、自分が生きるのは何のためにあるのかを常に心の芯から離さないで過ごすことのように思います。そうすることで意志が明確になっていくように思います。この意志とは自分の自我欲も感情も迷いも惑いも、善転させて芯の強さにしたことを意志と私は呼びます。

そういう意志の強さ、つまりは何のためにこれをやろうと自らをしっかりと持つことこそが本来の自分らしさであり自分を持つということになるのです。どんな時も自分を持つというのは、言い換えれば目的を常に忘れないでいる自分を維持するということです。

ちょっと周りの環境や相手の意志の強さに負けてその場に流されないように、「何のために」ということを常に今を深く探り、そして着実に今の学びを掴み取っていくことが目的意識というものです。

人生はどのような目的で生きるかでその目標も周囲に顕現していくものです。それはまるで何か偉大なものに導かれるようにシンクロニシティに包まれ自然に自らの道を照らしてくださるように実感するものです。

今、思い返しても「今」この瞬間瞬間の選択の連続で夢のような日々を過ごしています。

夢とは、今にどれだけ一期一会に遣り切るかというのが夢を実現することだと私は信じています。自分の都合ばかりを思い計算せず打算せず、どれだけ利他に自分を尽くし切ったか、目的を達成するためにいのちを懸けたか、今に出し切ったか、その場所にだけ存在しているものが夢の本質のように思います。

過ぎ去っている今を何回眺めても、道逝く人を想えば人の夢はとても儚いものに感じます。
だからこそ、目的意識というものを常に自分の中に確認した実践を行いたいと思います。