ワークライフバランス~常実践の法理~

ワークライフバランスという言葉があります。それは仕事と生活の調和というような意味があると表現されます。

それに対して生き方と働き方の一致というものがあります。生き甲斐や遣り甲斐、働き甲斐といったものですが本来はこの状態のときにはじめて私は調和していると思っています。

しかし実際はどうかといえば、生き方と働き方を「分けて」いる人があまりにも多いように思います。これは分けることで自分の生活のバランスを取るという刷り込みを持っているからだと思います。

例えば、一日は24時間しかありません。その中で、仕事の時間、趣味の時間、家庭の時間、勉強の時間、友達との時間など、すべてを分けて考えているとします。するその全ての役割を全うしようとしていたらとても時間が足りるわけがありません。それにそれも分けて考えようとするのは自分の都合ですが人生は分かれていないのだからどれも深く関連しているとも言えるのです。

これを自分の都合で分けるとき、そのしわ寄せというものは必ず他の何かに悔い込むことになるのです。本来のそれらは分かれていないものを自分の都合で分けたのであって、分けてはならないものを分けているから問題なのです。

自他を分けたモノサシではなく、自他一体のモノサシに転じれば、仕事も趣味、趣味も仕事、家庭も仕事、仕事も家庭、勉強も育児も友人との語り合いも全て生き甲斐であるという境地、つまりは分けないで取り組む時にのみワークライフバランスは実現するように思います。

これを仕事とプライベートというように分ければ、どちらかの時間のためにどちらかを犠牲にするという発想になったり、それでも無理をしようとすると本来の生き甲斐や働き甲斐といったものとかけ離れた生き方になってしまうかもしれません。

私達の子ども第一主義という生き方も同じで、子育てをしていれば子ども第一主義かというわけではなく、全てのことをもしも子どもだったならと子どものモデルになるような生き方を実践するとき分けていない働き方になっているのです。

これは「分けない」、すべては実は「つながり同じこと」なのだから全てにおいて生活を一つに結んでいくこと、言い換えれば常に「生き方の方を優先し、生きざまを重視すること」で調和に近づいていくように思います。

何事にも理念があるということは、その理念に沿った生き方というものがその後にあるのです。

それを理念と自分を分けたり、生活と仕事を分けたりしていたらいつまでたっても生き方や生きざまには辿りつかず、その先にある生き甲斐や働き甲斐とも出会えないかもしれません。それにそういうことをいつまでもしていたら「本心」が分からなくなってしまいます。人は自分の本心に確認し取り組むからこそ、迷いが消え去り覚悟が決まり真に成長していくことができるからです。

一度しかないのが自分らしさ、そして自分の人生なのだから、分けるのはとても勿体ないことをしているのです。生き方と働き方の一致、つまりはライフワークバランスとは「自分らしい生き方そのもの」を常に優先しているかということによるのでしょう。

この自分らしさを正しく実践することで未来の子どもたちへきっと健やかに逞しく育つ意味が背中を通して伝承できるように思います。自分の我や、社会の刷り込みにもっていかれないように自らの本気本心の常実践で伝えていきたいと思います。