型を遺す

佚斎樗山の天狗芸術論は、読み進めていると実践をベースに記されているのがよく分かります。もともと佚斎樗山が青年期に師事した熊沢蕃山は、陽明学から神道、さらには芸術にも精通しており、常に実践を優先し私心に囚われることのない真心を目指したのがその生き方から感じられます。

生き方を学んだ人が、その生き方を文字を遺すということは、後世のためにその「型を遺す」ということなのかもしれません。生きものではないものを使って後を託すのは、その心(生き方)は自ら修練し読み取るようにと先人を歩んだ実践者の強い祈りが入っているのかもしれません。

古の著作や、古の言霊に出会うことは実践を励まされているようで有難く感じています。

その天狗芸術論に「当世の修行者気質を嘆く」があります。

「古へは情篤く志し親切にして、事(わざ)を務ること健やかにして、屈することなく怠ることなし。師の伝ふる所を信じて昼夜心に工夫し、事にこころみ、うたがわしきことをば友に訊ね、修行熟して吾と其理を悟る。ゆへに内に徹すること深し。師は始め事を伝へて其の含むところを語らず。自ら開くるを待つのみ。是を引而不発(ひきてはつせず)といふ。」

(昔、武芸の道に志したものは、情熱ゆたかで志固く、技術の修練によく務め、挫けず、怠らず励んだものである。師匠が教えたことを信じて日夜心に研究を重ね、実技を試み、疑問があれば友に尋ねて、修業を積むことによって自らその道理を身に付けた。したがってその理解はとことんまで徹底したものである。師匠は、最初は技法は伝えても、それに含まれている道理を語ろうとはせず、自ら理解するのを待った。これを「近づけはするが明らかにはしない」という。これは惜しんで語らないのではない。)

「吝(やぶさか)にて語らずにはあらず。此間に心を用いて修行熟せんことを欲するのみ(中略)。是古人の教法なり。故に学術芸術とも慥(たしか)にして篤し。」

(この段階で心を働かせ、修行の実を挙げることを願うからこそのことである。これが古人の教育方法であった。これによって学問も技術も、ともにしっかりしていて内容豊であったのだ。)

「今人情薄く志切ならず。少壮より労を厭い簡を好み、小利を見て速やかならんことを欲するの所へ、古法の如く教ば、修行するものあるべからず。今は師の方より途(みち)を啓き(ひらき)て、初学の者にも其の極則を説き聞かせ、其の帰着する所をしめし、猶(なお)手を執りて是をひらくのみ。」

(今日では、武芸を学ぶ者も情熱が薄く、真剣な志を抱いていない。若いときから骨の折れることをいやがり、手軽なことを喜び、小手先のことで手早く上達するのを望んでいる。このような者に対して昔のようなやり方で教えたのでは、修行をしようという者がいなくなってしまう。そこで今日は、師匠の方から手ほどきをして、初心者にも極意をを説明し、その実際を見せ、さらには手をとってこれを教えこむほかはない。)

「かくのごとくしてすら猶退屈して止まる者多し。次第に理は高上に成て古人を足らずとし、修行は薄く居ながら、天へも上る工夫をするのみ。これもまた時の勢いなり。」

(このようにしてさえ、厭気がさして止めてしまう者が多いのである。こして理屈だけではだんだん達者になるばかりで古人の説では満足できなくなり、ろくな修行もしていないくせに、天にも登るほどのわざを得ようとするのだ。これもまた時の勢いとうほかはない。)(武道秘伝書 吉田豊編 徳間書店)

学び方一つとっても、今の学校の教え方と古の学問への姿勢は異なるものです。本質を学ぶということや、実践をするということが本来の学び方であったはずですが今のような情報や物が溢れかえった時代にはこの時代と同じような問題が発生するのかもしれません。

如何に貪欲に学ぶのかは、その人の真摯な生き方との向き合いなのでしょう。何のために学ぶのか、その初心を忘れないでいることが修行なのでしょう。先人の型をを参考にして取り組んでいきたいと思います。