心の余裕

先日、余裕とは何かについて話すことがありました。

余裕というのは、心のゆとりのことで心が落ち着いてゆったりとしているという意味で用いられます。その心がゆったりとするというのは、物理的に何もしないことを言うのではないように私は思います。

そうではなく、心の余裕とは「初心を忘れていない」ということを言うのでしょう。

人は猛烈に忙しくなったり、体調を崩したりすると、感情や気分に呑まれていきます。すると、そもそも何のためにやっているのかとか、本質が何かなどは考えず、その時々の気分次第で物事に対峙してしまうものです。

そういう時は、心のゆとりがなくなり視野が狭まり自分の観えている世界も困窮していくものです。困窮してしまえば、感謝を忘れて当たり前であることに気づくことができなくなってしまいます。

本来、心というものの正体は広くゆったりしているというイメージがあります。これはなぜかといえば、どんな状況下であったにせよ、自分が活かされていることを実感したり、周囲や自他に感謝したいという気持ちを持っているからです。

心はありのままの自然や、生きていかされるあるがままで実相を捉えているように思います。心に邪念がなければ物事は正しく映りますが、ひとたび心を忘れれば邪気や邪念から落ち着けなくなるのです。

不安というものもまたゆとりをなくす理由ですが、心が「何のために」から離れるから不安が増大していくように思います。

つまりは、心の余裕とは「初心」です。

今の時代はどうも初心を忘れがちな時代のように思います。事件が多すぎるのか、マスコミや情報に踊らされてしまうのか、スピードがあがってしまったのか、自然の生活から遠ざかりすぎたのか、色々と理由はありますがどちらにしてもせっかくの人生が「何のため」を忘れることは悲しいことかもしれません。

幸福というのは、自分の御役目に感謝できることのようにも思います。

自分が何のために精一杯生きるのかの天命を知ることで、道楽を噛み締めることが歓びであるようにも思います。どんな状況下にあっても、心の余裕を失わないように「初心を忘れない、何のためにを忘れない」実践を積み上げていきたいと思います。